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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「アダプテットスポーツ(障がい者スポーツ、パラスポーツ)」のもつ特性について

   前回の記事で、車いすバスケットボールという障がい者スポーツ(パラスポーツ)体験に触れた内容を取り上げた。その記事を執筆中に、1年ほど前にある研修会で体験したことを思い出したので、今回はその時の体験内容と所感を思い出しながら書いてみたい。

 

 ある研修会での体験というのは、1年ほど前に私の現在の職場で行われた県内の総合型地域スポーツクラブ(以下、総合型クラブ)の「意見交換会」と「総合型クラブサミット」という研修会において、「ボッチャ」という障がい者スポーツ(パラスポーツ)と初めて出合った時の体験のことである。ただし、この時は講師の大阪体育大学教育学部の曽根先生が障がい者スポーツ(パラスポーツ)のことを、「アダプテットスポーツ」という用語を使われて講義や指導をされた。「アダプテットスポーツ」というのは、「やる人に合わせたスポーツ」(Adaptされた身体活動)という意味なので、障がい者スポーツやパラスポーツを包含するような概念として使われたのだと思う。

 

 その時に私が初めて体験した「ボッチャ」というアダプテットスポーツとは、「ジャックボール(目標球)という白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールをいかに近づけるかを競うスポーツ」のことである。1984年からパラリンピックの正式競技として行われ、男女の区別なく障がいの程度で4つのクラスに分かれて順位を競っているスポーツである。

 

    午前中の実技講習では、まず使用する用具の解説をしてもらった後、参加者全員で試技を行った。その実技過程では、使用するコートやルールについてもその都度説明をしてもらったので、「ボッチャ」というスポーツのことがよく分かる講習になった。その後、参加者が4つのチームに分かれ、実際にゲーム形式を取り入れた講習を行った。その中では、ゲームの流れや得点の数え方、勝敗の決し方等も教えてもらい、体験的な理解を深めることができた。さらに、ランプという「ボールを投げることができない選手が使用する勾配具」の使用例を基に、何人かの参加者が実際に使用する場も設定してくださった。約2時間の実技講習があっという間に終わったことを覚えている。

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 午後からは、曽根先生がプレゼンを活用した講演を約1時間してくださった。その内容の概要は、「ボッチャ」の面白さやクラス分け・ボッチャ協会の2つの方向性・いろいろな投球方法等の実例・総合型クラブの意味と特徴・障がい者スポーツの環境やアダプテットスポーツの意味や考え方、実施上のポイント・インクルーシブな活動の形態等であった。私が講演を聴いて一番心に残ったことは、“パラリンピックの父”とも言われるグットマン博士の「失われたものを数えるな、残っているものを最大限活かせ!」という言葉。障がい者のスポーツは、「できない」ことより「できる」ことに着目すべきなのである。私はスポーツや運動の指導はもちろんたが、教育全般にわたってこの考え方を基本にすべきではないかと強く思った。そうすれば、能力的に劣っていたり苦手意識をもっていたりする者、つまり学習における弱者に対する適切な指導・支援を保障することができるのではないかと考えた。

 

    また、講演後の研究協議の中で特に心に残ったことは、総合型クラブのスポーツ教室において障がい児に対してどのような配慮が必要かという問いに対して曽根先生が答えた「障がい児の健康や安全上の留意事項を他の子に伝えることは必要だが、障がい名や詳しい症状を伝える必要はない。ダウン症のA君ではなく、A君がたまたまダウン症なのだという考え方で配慮することが大切だ。」という言葉。曽根先生が自身で運営している「わくわくAdapt sportクラブ」の基本方針がそのような考え方なのだと知り、私は強く共感したことを覚えている。

障がい者にとってスポーツをすることの意味とは?

    今月19日(土)の午後、本県の身体障がい者福祉センターにおいて、オリンピアン・パランピアンとスポーツを楽しむ「ジャパンスポーツフェスタin○○~スポーツでみんなの笑顔をつなごう~」(障がい者スポーツ理解促進フェスティバル)が開催され、私も一市民として参加した。

 

    そのイベントの中で「車いすスポーツ体験!チャレンジ!」と称した車いすバスケットボールの体験教室が開催された。内容としてはまず、車いすバスケのパランピアンの方も入ってのエキシビジョンゲームが行われた。車いすやバスケットボールの巧みな操作に参加者は大きな拍手を送っていた。次に、グループごとに車いすの試乗体験が行われた。まっすぐに進んでコーンを回って返ってくる動きや、オリンピアンやパランピアンの方々とのスピード競争、また鬼ごっこと、単に車いすに試乗するだけでなく、徐々に車いすの操作技術を高めるような動きを取り入れていた。

 

    私はCグループの一員として、人生で初めて車いすバスケの車いすに試乗してみた。最初は緊張したが、実際に車いすを操作してみると、予想に反して軽い力で行うことができた。ただし、単に前に進むだけの動きでも、スムーズな腕の動かし方が必要である。特にスピードを上げて進もうとしたり、ターンをしたりする際には、それなりの操作技術が必要である。私は多少ぎこちない動きを繰り返しながらも、それなりにすぐに慣れていった。また、鬼ごっこをした時は、ゴールラインまで何とか逃げ切れそうになったが、最後に車いすのスピートを上げることができずに、鬼にタッチされてしまった。スムーズな腕の動きはやはり難しい。後で腕の筋肉が痛くなっていたので、無駄な力が入り過ぎたのかもしれない。この点、車いすバスケットボールという障がい者スポーツの厳しさの一端を味わったような気がする。でも、私にとっては大変楽しい体験であった。

 

    ところで、私は以前にこのような障がい者スポーツに関する『ようこそ、障害(ママ)者スポーツ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(伊藤数子著)という本を読んだことがある。本書は2010年10月から、スポーツジャーナリスト二宮清純氏が主宰するウェブマガジンの「SPORTS COMMUNICATIONS」に掲載された「障害(ママ)者スポーツの現場から」に加筆し、まとめたものである。「第1章 障害(ママ)者スポーツ新時代を担う選手たち」「第2章 知らなかった!障害(ママ)者スポーツの世界」「第3章 障害(ママ)者スポーツのこれから」の三章構成で編集されており、私は特に第3章の内容に共鳴することが多かった。

 

 障がい者スポーツの魅力を配信しているウェブサイト「挑戦者たち」の編集長である著者の伊藤氏は、次のように言う。「超エリートスポーツも、スポーツを通しての社会参加も、とても大切なことです。だからこそ、こうした動きの中で、全国障害(ママ)者スポーツ大会(以下、全スポ)の開催意義を原点から見つめ、次世代にもつながるよう、変革すべきときが来ているのです。どういう大会にしていくのか、国や地方公共団体も、出る人も、見る人も、運営する人も、奥深いこの課題に、覚悟を決めて、真摯に向き合うべきときを迎えています。…」一般にスポーツは競技スポーツと生涯スポーツとに区別され、各々の意義や行ない方等が尊重されている。したがって、身体及び精神障がい者などが行う障がい者スポーツにおいてもこの両面性が含まれるが、全スポの性格にはこれらが混在している。そのために、様々な混乱が起きているらしい。全スポの在り方を問うことは今回の記事の目的ではないが、全ての国民は当事者の立場に立って考える必要があるのではないだろうか。来年に開催を控えた「東京オリンピックパラリンピック大会」を前にして、改めて問い直したい課題である。

 

    最後に、以上のような読書経験や車いす試乗体験等を通して、私なりの障がい者スポーツに対する考え方、特に障がい者がスポーツを行う意味について自分の考えが深まってきた。私は「障がい者にとってスポーツをすることの意味は、元々リハビリとして行ってきた意味を超えて、何よりもそのことによって自分が生きているということを堂々と表現し、生きがいを実感できることにある。」と考えているが、皆さんはどのように考えているのだろうか?

これからのスポーツ振興の方向性について

    平成29年に策定された「第2期スポーツ基本計画」を受けて、昨年3月にスポーツ庁より『スポーツ推進アクションガイド』が策定・公表された。本ガイドの目的として「スポーツの魅力や意義を国民に知ってもらうこと、スポーツ参画の阻害要因に対するアプローチ策を発信すること、関係団体等が同ガイドを活用することによりスポーツに参画する者を増やしていくこと」を挙げ、学校や地方公共団体、地域スポーツクラブ、スポーツにかかわる民間事業者、医療保険者、スポーツ指導者、健康づくりに携わる者、マスコミなど、幅広い組織や団体が本ガイドを活用することを求めている。

 

 そこで今回は、特に本ガイドの「第3章 スポーツの参画を促すための3つの方向性」の内容概要とそれに対する私なりの簡単な所感をまとめておきたい。

 

 第3章では、「する」「みる」「ささえる」の3つの分野でスポーツへの参画を促すための方向性(参加促進策)を示している。まず、「する」スポーツは、下表のようにライフステージ別に整理しているほか、多世代にまたがる参加促進策や障がい者に向けた参加促進策も挙げている。

 

ライフステージ

具 体 的 な 参 加 促 進 策

子ども世代

スポーツ少年団や運動部活動以外で子どもがスポーツに参加できる場づくり、学校体育施設の有効活用、運動の意欲を高める支援・工夫。

ビジネスパーソン・子育て世代

・利用がしやすい早朝や夜間等におけるスポーツ機会の提供、健康経営の推進、一人で気軽に参加できる場づくり、20~40歳代女性にターゲットを絞り込んだ取り組み。

 高齢者世代

・自然に暮らしているだけで健康になれるまちづくり、地域コミュニティを通じた健康づくり。

 

原則的には全ての世代に向けてスポーツへの参加促進策を具体化していくことが必要だが、当法人においては特に「子ども世代」や「ビジネスパーソン・子育て世代」をターゲットにしたスポーツ教室やイベントなどの企画を今後とも工夫していきたいものである。

 

 次に、「みる」スポーツの参加促進のためには、ルールを知らない人も楽しめるサービスの提供や、地域文化としてのスポーツの定着の必要性を訴えている。これらの具体策としては、当法人の貸館事業においてプロスポーツや競技スポーツ団体等と連携したイベントを構想することが可能である。特にこれからは「e-スポーツ」の普及・振興がポイントになるであろう。

 

 最後に、「ささえる」スポーツの参加促進のためには、スポーツを支える魅力の多様性を具体的に発信していくことや、特定スポーツの継続誘致によるメッカづくりなどが求められている。これらの具体策については、我が県スポーツ・文化部スポーツ局の各課において企画・運営されることが原則となるであろう。

 

 なお、スポーツ人口の拡大に向け、取り組みの効果を高めるためには、「スポーツ参加促進策の推進」と「スポーツ参加の機会を企画・提供する担い手の持続性」の2つの観点からのアプローチが重要であるとまとめている。前者に関しては「関心の喚起」「だれもが参加しやすい場づくり」「参加者の継続性を高める工夫」「地域への定着」の4つのポイント。後者は「現場の創意工夫を促すしくみづくり」「指導者不足の解消」「スポーツを実施する身近な場所の確保」「取り組みを持続可能とする工夫」「ノウハウの蓄積・共有」の5つのポイントを挙げており、当法人もこれらのポイントを常に意識して事業展開をすることが求められるのである。

「草木国土悉皆成仏」という思想とは?~梅原猛氏が唱えた「人類哲学」~

    今月12日の午後、私が青年期以来、敬愛し続けてきた哲学者の梅原猛氏が93歳で死去された。心よりご冥福をお祈りしたい。

 

    梅原氏は、立命館大教授や京都市立芸術大教授、同大学長を歴任され、国際日本文化研究センター設立に尽力し、初代所長を務めた。また、1997年から6年間、日本ペンクラブ会長でもあった。さらに、東日本大震災後は、政府の復興構想会議の特別顧問も務めた。若い頃には実存哲学の研究に埋没し、その後は古代史や文学、宗教等を横断して「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立て、近年は「スーパー歌舞伎」「スーパー能」を創作するなど幅広い活動を行い、1999年には文化勲章受章の栄に浴された。

 

 私は20代後半頃、ある先輩教師から梅原氏の著書である『学問のすすめ』を紹介されて読んだことをきっかけにして、『哲学する心』『精神の発見』『日常の思想』『文明への問い』『地獄の思想』『隠された十字架』『水底の歌』等の著書を読み漁った。そして、既成の概念にとらわれず独創的な視座から歴史的・文化的事象へアプローチする、その真理追究に向かう情熱的な姿勢に感銘して氏の大ファンになった。また、孤立を決して怖れず自己の信念を貫き通す、その確固たる生きざまに憧れて氏は「私の人生の師」と仰ぐ人物にもなった。

 

 そこで今回は、梅原氏の近年の著書『人類哲学序説』を取り上げて、西洋文化の行き詰まりを解決し、新しい人類の指針になるであろう、日本文化の原理「草木国土悉皆成仏」という思想のエッセンスを中心にして内容の概説をしつつ、私なりの所感を簡単にまとめてみたい。

 

 最初に、梅原氏は「草木国土悉皆成仏」という思想とはどのようなものなのかを問い、それは天台密教の思想(天台本覚思想)であり、具体的に表現すれば「人間や動物はもちろん、草木や国土も仏性を持ち成仏できるという思想」と言っている。また、この思想は日本だけでなく、同時に世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の思想ではないかと推察する。そして、このような原初的文化の思想から、人類が存続する上で危機に瀕していると言われる現代社会の原理である西洋文化の思想を、どう見るかということを問う必要があると主張しているのである。

 

 二つ目に、氏は近代哲学の祖であるデカルトや、その批判者であるニーチェ及びハイデッカーなどの西洋哲学を省察した上で、概ね次のような結論を提示している。「西洋哲学は理性や意志、言葉を尊重して成り立っており、基本的に自然を支配する人間中心主義であるために、自然との共生・循環を考える哲学ではない。そのような哲学は、これからの人類哲学とはとうてい言えないのではないか。」と…。

 

 三つ目に、氏は近代西洋文明に対して、その親文明である「ヘブライズム」(ユダヤ文明)と「ヘレニズム」(ギリシャ文明)がどのような影響を与えたか考察し、その伝統がデカルト哲学をつくり出し、科学技術文明を生み出して人間の徹底的な自然支配が始まったと述べている。これは人類に大変豊かで便利な生活を与えた半面、近代合理性の限界を示している環境破壊と言う影を落としてしまったのである。そのような中、氏はもう一度、人間が太陽と水の恩恵を肌で感じ、太陽の神、水の神に対する尊敬を取り戻すことが必要ではないかと主張している。

 

 四つ目に、氏は縄文時代以来の「草木国土悉皆成仏」という思想と、弥生時代以降の太陽と水を崇拝する思想がどのように結びついているか考察し、共に生命の流転の考え方、循環の思想である「森の思想」が媒介となっていることを指摘している。そして、それらの思想が自利と利他の調和を説く思想であり、近代西洋的な人生観に替わって、人類の思想になる必要があると強調している。

 

 最後に、氏は今後、本格的に西洋文明、特に西洋哲学を研究し、より正確でより体系的に論じた著書を書かねばならない。そして、その書が「人類哲学」の本論になるはずであり、本書はその序説であると「あとがき」で述べている。果たして氏が本論を書き上げることができたのかどうか私は知らないが、私たち残された者が氏のこの遺志を何らかの形で引き継いでいかねばならないのではないだろうか。合掌…

やってはいけないウォーキングとは?

    ここ数回の記事で、「ウォーキング」がどの世代にも親しみやすい運動であることとか、目的別の「ウォーキング」の効果的な活用法とかについて言及してきた。そのような中、休日に近くの書店を訪れて何気なく気になる本を探していた時、『やってはいけないウォーキング』(青柳幸利著/以前の記事で取り上げた『なぜ、健康な人は「運動」をしないのか?』の著者)という本を見つけた。本書は基本的には著者が唱えている「メッツ健康法」の考え方を述べているので、前著とほとんど同様の内容になっている。ただし、本書の内容は「ウォーキング」に関するものに絞られているのが特徴。

 

 そこで今回は、私が本書を読んで特に参考になった「やってはいけないウォーキング」や「やったほうがよいウォーキング」「ウォーキングを続けるコツ」等の内容概要を紹介しつつ、簡単な所感をまとめてみたい。

 

 まず、「やってはいけないウォーキング」について。「やってはいけないウォーキング」とは、「誤った認識で行っているウォーキング」のことである。例えば、ある老舗旅館の女将は毎日一万歩以上歩く生活を続けていたにもかかわらず、骨粗鬆症になってしまったらしい。その原因は、運動の刺激が弱かったから。つまり、歩き方の「強さ」の観点が抜け落ちていたからである。「毎日一万歩を歩いてさえいれば健康を維持できる」という認識は誤っているのだ!また、「歩けば歩くほど健康になる」という認識も大きな間違い。運動のしすぎは健康を害するのである。なぜなら、免疫力が低下するから。「運動選手はよく風邪をひく」ということを聞くが、これは運動選手がハードなトレーニングをするために、免疫力が下がり、ウィルスや細菌等の抗原を撃退できずに病気になりやすいからである。

 

 次に、「やったほうがよいウォーキング」について。上述した例のように、これまでの「歩数論」は当てにならない。では、どのような指標に基づいたウォーキングが効果的なのか?それは…「8000歩/20分」という黄金律!である。少し解説を加えると、1日24時間の歩数は8000歩にし、中程度の運動を行う時間は20分にするという指標に基づいたウォーキングを実践するのが効果的であるという考え方。では、「中程度の運動」とはどの程度の運動強度なのか?それは…「なんとか会話ができる程度の速歩き」だ!昨年の12月13日の記事『「病気をつくる運動」より「健康をつくる運動」を!!』で紹介した運動強度を表す「メッツ(METs)」という単位を使えば「3~6メッツ未満」、別の表現をすれば「個人の最大酸素摂取量の40~60%に相当」ということになる。運動例としては、「やや重い家事・速歩き・山歩きなど」である。以上をまとめると、「1日8000歩の内、なんとか会話ができる程度の速歩きを20分行うようなウォーキングが健康には効果的」という結論になる。

 

 さらに、「ウォーキングを続けるコツ」について。一つは、「8000歩/20分」ウォーキング生活を続けるために、次のようなステップを踏むように勧めている。

① できれば身体活動計を使用して、あなたの今の状態を知る。

② 今の生活①と理想の「8000歩/20分」と比てみる。

③ あなたの生活で「足りない部分」を補う。

④ 毎日、記録しながら続けていく。

 

 もう一つは、全国の体験者からの実例を基に、次のような続けるコツを紹介している。

① 活動記録を「見える化」する。

② 一緒に頑張る仲間をつくる。

③ 身体活動計の「バンザイマーク」を励みにする。

④ 「足踏み」でもOKと軽く考える。

⑤ ポールウォーキングは、お勧めウォーキングの一つ。

どんなに健康を守るために有効なウォーキングでも、最低2か月は続けないと長寿遺伝子がONにならない。また、2か月間やめてしまったら元に戻るらしい。とにかく細々とでもよいから、長く続けることが大切なのである。

 

 最後に、「運動と食事」について。生涯にわたって健康を維持するためには、「ほどほどの運動」と「ほどほどの食事」の二つが重要である。「ほどほどの運動」を表す数字が一日「8000歩/20分」なのに対して、「ほどほどの食事」を表す数字は毎食「腹八分目」。「ほどほど」に身体を動かし、「ほどほど」に食べる毎日を心掛けることが肝要なのである。最終的な結論としては、健康に関することを始め、何事においても「中庸」(いい加減!?)の精神をもって行動することが大切ということかな…。

全世代が取り組みやすい種目は「ウォーキング」なのだ!

    昨年2月にスポーツ庁から公表された平成29年度「スポーツの実施状況等に関する世論調査」に目を通す機会があった。本調査は昭和54年度から概ね3年ごとに実施してきた「体力・スポーツに関する世論調査」を踏襲するもので、「スポーツの実施状況等に関する国民の意識を把握し、今後の施策の参考とする。」という目的の下、全国の登録モニターになっている18~79歳の男女を対象にWEBアンケートを実施したもの。有効回答数2万件のデータを分析している。

 

  今回は、その結果概要を紹介しつつ、私なりの所感をまとめたい。

 

  まず「スポーツ実施率」について。週1日以上運動・スポーツをする成人の割合は51.5%(前年度42.5%)、週3日以上では26.0%(前年度19.7%)。10代~40代において前年度より10ポイントを超える伸びを示し、特に20代女性は17.6ポイント増となった。男女とも70代が最も高く70%を超えていた。一方、男性で最も低かったのは50代の45.5%、女性で最も低かったのは40代の37.8%であった。また、「この1年間に運動・スポーツはしなかった」かつ「現在運動・スポーツはしておらず今後もするつもりがない」と答えた者が、まだ20.7%(前年度27.2%)存在していることも分かった。

 

  次に「実施状況の変化の要因」について。運動・スポーツを行った理由としては、「健康のため」が75.2%と最も多く、「体力増進・維持のため」50.1%、「運動不足を感じるから」44.1%などが続いている。(複数回答可)また、実施頻度が減った或いは増やせない理由としては、「仕事や家事が忙しいから」が39.9%と最も多く、「面倒くさいから」25.3%「年を取ったから」19.9%などが続いている。

 

 三番目に「みる・ささえるスポーツ」について。「この一年に直接現地でスポーツ観戦を行った」と答えた者は26.9%、「この一年にスポーツに関するボランティアに参加した」と答えた者は10.6%で、スポーツ実施頻度が高い層ほど参加率は高い。内容は「大会・イベントの運営や世話」が27.6%と最も多く、「運動・スポーツの指導」23.7%、「スポーツクラブ・団体の運営や世話」23.4%、「自身やお子様が所属するスポーツ団体やクラブでの補助的な活動」20.9%などが続いている。(複数回答可)

 

  最後に「スポーツの価値」について。運動・スポーツについて、「大切」「まあ大切」としている者の割合は66.4%。運動・スポーツの価値は、運動実践頻度が高い層ほど強く感じている。

 

  以上が、報道発表の結果概要である。我が国のスポーツ行政が長い間目標にしてきたスポーツ実施率が、全体として50%を超えた結果は素直に喜びたいと思う。(今後の目標は65%程度になった。)しかし、年代別の実施率はバラつきがあるとともに、週1日以上運動・スポーツを実施していない人も全体の約5分の1いるという現状に目を向け、その原因を解明した上で有効な手立てを講じる必要があると思った。

 

    また、これらの調査結果以外で、私が注目したのは、「1年前と比べて運動・スポーツを実施する頻度が増えた」と答えた者の77.7%が「ウォーキング」を実施していることである。また、「初めて実施したまたは久しぶりに再開した運動・スポーツ」でも52.4%の人が「ウォーキング」と応えている。これらの数字は他の種目に比べて断トツなのである。さらに、その実施状況を見ても、前年度に比べて全世代が実施人数・実施割合共に高くなっており、特に男女の10代から30代で実施割合が大幅に高くなっている。私は高齢者や壮年者の実施割合が高いものと思っていたので、若い世代に「ウォーキング」実施者が増加している結果に驚いた。健康づくりのイベントで取り上げる種目に「ウォーキング」は欠かせないのではなかろうか!

ウォーキングの効果的な活用法について

    私は約10年前から夕食後、妻と共に50分間ほどのウォーキングをしている。始めたきっかけは、当時受けた人間ドックの検査結果で「高脂血症予備軍」と診断されて、その予防法の一つと考えたことによる。高脂血症を予防する第一歩は、動物性脂肪を取りすぎないという食事療法である。それに有酸素運動によって善玉コレステロールを増やすというウォーキングのような運動療法を加えると、予防効果はより高まるのである。そこで、とにかくやってみようと始め今に至っているわけだが、この10年間にはウォーキングの行ない方を何度も変更してきている。その理由は、ウォーキングの目的による。その一部を紹介しよう。

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 まず、高脂血症を予防するための行ない方は、強度を中程度にすること。最大の運動量の半分程度の強度。運動時の脈拍が「138-(年齢÷2)」が目安。私は今64歳なので「138-(64÷2)=106拍/分」の脈拍で行えばよいことになる。

 

    また、運動時間については運動開始後15分ほどで、脂肪が十分に利用されるようになるので、最低でも15分以上は歩き続けること。以上のことをまとめてみると、「呼吸が楽な速度で一日に30分間のウォーキングを、週に3回以上続けること」が高脂血症予防に役立つことになる。

 

  次に、高血圧を予防するための行ない方は、呼吸が苦しくならない強度、つまり軽度にすること。できれば、一人で、自分のペースを守り、のんびりと行うのが効果的である。また、ウォーキングフォームは、腕を大きく振らず、歩幅も狭めで、ダラダラ歩くこと。

 

    また、歩く場所は平坦な道を選ぶことが大切で、階段の上りを利用するのは避けること。つまり、「ウォーキング中に血圧を急上昇させないようにしないといけない」のである。したがって、血圧を上昇させる原因になる寒い日に行うことも、体を強く圧迫する衣服を着て行うことも、重い荷物を持って行うことも避けなければならないのである。(少し考えれば、当たり前!)

 

    以上のように、どのような病気を予防するためにウォーキングを行うかによって、その行ない方は違う。糖尿病や骨粗鬆症・心臓病等の予防のためには、また別の行ない方がある。中には病気予防以外のダイエットのためとか、筋力アップのためとかの目的もあると思う。

 

    私たち夫婦も、脚の筋力アップのために有効だと言われている「インターバル・ウォーキング」を最近は取り入れている。3分程度スローペースでゆっくり歩いた後、次の3分間はハイペースの全速力で歩く。この1セットを何回か繰り返して、約50分間のウォーキングをするというもの。普通のスピードで行うウォーキングに比べて、汗が多く出るし結構疲れるが、脚の筋力が多少はアップしているように実感している。

 

    何事かを始める前には、その目的を達成するために有効な方法を研究すること。また、やり始めたら、目的達成のためにより有効な方法を研究しながら実践し、その成果を確かめることが大切だと思う。今後もウォーキングの行い方について研究を重ねながら、生涯を通じた健康を保つために有効で適切な運動実践を心掛けていきたい。

『東京都の地域スポーツクラブに関する平成29年度調査研究報告書』から学ぶ

   東京都に設立している「総合型地域スポーツクラブ」は、創設までの経緯や諸事情を鑑み、敢えて「総合型」という冠を省いて「地域スポーツクラブ」と称している。その『東京都の地域スポーツクラブに関する平成29年度調査研究報告書』(公益財団法人・東京都スポーツ文化財団発行)を読む機会を得た。

 

 そこで今回は、その報告書の内容概要を紹介しつつ、私なりの所感をまとめてみたい。

 

 まず、「クラブと学校との連携の実態」について。現在、学校との連携を行っているのは約55%のクラブで、その連携方法は学校体育施設を利用したり、イベント(運動会など)を学校と共同で実施したりしているクラブが多い。また、学校運動部活動の全部或いは一部を担っているクラブは約20%ある。これらの連携の成果としては、学校との良好な関係構築や子どものスポーツ活動の場の充実を挙げているクラブが多い。反面、課題としては、クラブスタッフの不足を挙げているクラブが多い。その他、約30%のクラブが、連携に対する教員の理解不足や事件・事故の際の責任の所在不明確などを課題と感じているらしい。

 

  次に、「連携に対するクラブの意識」について。7割を超えるクラブが学校との連携を「行いたい」「やや行いたい」と回答している。しかし、そのうち約30%のクラブが連携に至っていないとのこと。また、連携を実施していない理由としては、学校や行政などからの要望がないこと、クラブスタッフ不足、学校との関係性の希薄さ、学校や教員の理解不足を挙げている。さらに、「学校側からの要望があれば教えてほしい」と回答しているクラブが多い。これらの調査結果から、学校とクラブがそれぞれの課題や要望といった情報を共有することが相互の連携を深めるためには重要だと言える。

 

  三番目に、「クラブの後継者不足やクラブ運営スタッフの世代交代」について。クラブの後継者不足に問題があると回答したクラブが80%以上を占め、大きな課題になっている。また、「クラブの諸事業の運営を手伝うボランティアが必要である」と回答したクラブが最も多く、「いずれの役割のスタッフも必要である」と回答したクラブが70%を超えている。これらの調査結果を見ると、多くのクラブでは役割に関係なく全体的にスタッフが不足している実態がよく分かる。さらに、クラブではクラブ運営やスポーツに関する専門的な知識を持つ人よりも、ミッションへ共感してくれる人や地域貢献への意欲がある人、スポーツの意義を理解している人を運営スタッフとして求めている。そして、全体的な傾向としてはクラブ会員の運営参画意識が未だ十分に醸成されていない現状も伺える。なお、「クラブ後継者が確保できている」或いは「クラブ後継者不足の深刻度が低い」と回答したクラブでは、会員の運営参加意識や総会等への出席率が高い傾向にある。また、運営スタッフによる声掛け、ホームページによる募集、インターンシップの受け入れなども行われており、これらの事柄が後継者確保に向けた取組として有効であることが推察される。

 

  最後に、非会員のクラブ認知度やスポーツの振興や地域コミュニティの活性化に関するミッションへの理解や共感、期待感が依然として低い実態のなか、健康の保持増進に関するミッションへの理解や共感、期待感が肯定的に捉えられていることから、将来的にクラブ会員となる可能性のある地域住民は少なからず存在することが明らかになっている。今後、クラブ会員を増やすためには、非会員へのミッション全般への理解や共感、期待感の醸成を促すようなマネジメントを行うことが重要になると思った。

熊本県総合型クラブ交流報告書「リセット!そしてスタート!」から学ぶ

    もう2年9か月ほども前になるが、平成28年4月に発生した「熊本地震」は最大震度7を観測し、熊本県内に甚大な被害をもたらした。そのような状況下、熊本県の「総合型地域スポーツクラブ連絡協議会」(SCS火の国クラブネット)は復旧・復興に向けて立ち上がり、「総合型クラブから地域を盛り上げよう」と各種研修会や交流事業「リセット!そしてスタート!」、補助事業等を実施した。

 

 そこで今回は、その中の交流事業の内容概要を紹介しながら、私なりの所感をまとめてみたい。

 

 平成28年11月19日(土)、キャンプ場や温泉施設をもった「四季の里旭志」(地震被害のためスポーツ施設が利用できないため)で、SCS火の国クラブネットは(公財)熊本県体育協会と共催して県内「総合型クラブ」32団体(89人)の参加を得てクラブ交流大会を開催した。

 

 〈第1部〉は午前10時から開会式を行い、その後「ペットボトルでピザ作り体験~楽しく・美味しく食育&防災について学ぶ~」と題した全体会をもった。震災後、ガスや電気が使えない状況があったため、廃材や木炭を熱源に調理できる食事と、「生きる力」の知恵を学ぶ思いから、講師を招聘して楽しく、美味しく学ぶペットボトルピザ作りの体験を行うという内容である。

 

    次に、午後からは「エコノミークラス症候群予防セミナー~震災が人体に及ぼした影響の理解と対策~」と「ノルディックウォーキング体験~楽しく皆で歩きましょう~」と題した二つの分科会をもった。エコノミークラス症候群のメカニズムや予防法を学んだり、皆で楽しくノルディックウォーキングをしたりして交流する内容である。

 

    さらに、レクリエーションプログラムとして「リラックスヨガ体験~心と身体を開放し、豊かな時間を…~」、引き続いて「玉入れタイムレース~ブロック対抗で体を動かそう~」を行った。震災からの復旧・復興のために頑張り心身共に疲れているスタッフに少しでもリラックスする時間をもってほしい。また、参加者を県北・県央・県南のブロックに振り分けて対抗戦を行い交流の絆をより深めてほしい。そのような願いをもってプログラムに入れた内容である。そして、参加者全員で記念撮影を行って閉会したのは、午後5時。私はプムグラムがとても充実した内容だと感銘した。

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 〈第2部〉は午後5時から「語ろう会」を行った。バーベキューをしながら震災後の話をしたり、他愛のない話をしたりして交流を深めた。参加者のアンケート結果では、四段階評価が「全体満足3.37点」という高評価になっており、この交流事業が大きな意味をもったことが推察される。

 

    また、参加者の中には「今回の研修会は、非常によかった。体験する研修会は準備される方が大変と思うが、今後につながるので続けてほしいと思う。事務局の方々、お世話になりました。」や「楽しかったでーす。しっかり交流できました。」という声もあり、日頃地域のために頑張っているクラブスタッフの方々が、このような交流事業で心身共にリフレッシュ、リラックスされたことが大変よく分かった。

 

    我が県の「総合型地域スポーツクラブ連絡協議会」では、近年やっとささやかな研修の場として県下の「総合型クラブ」が集まって意見交換を行う会議を始めた。今後、これを熊本県のような交流大会に成長させていくことが、私たち「広域スポーツセンター」の使命だと考えている。

「総合型地域スポーツクラブ」による地域活性化はできているのか!?

   前回の記事で紹介した「総合型地域スポーツクラブ」(以下、「総合型クラブ」)には、「健康寿命の延伸」や「地域スポーツ環境の充実」、「地域コミュニティーの再生」、「地域経済の活性化」等という我が県の政策課題を解決する役割が秘められていると私は考えている。つまり、それらの政策課題を総括的に表現すると「地域活性化」である。果たして、「総合型クラブ」はこれらの課題解決の役割を果たすことができているのだろうか。

 

 この私の問題意識に関して大変参考になる本を市立の中央図書館で見つけた。それは、『地域活性化のポリティクス―スポーツによる地域構想の現実―』(小林勉著)という本である。著者は現在、中央大学総合政策学部教授。過去には長野県の「広域スポーツセンター」のコーディネーターとして数々の「総合型クラブ」事業に携わってきた方である。

 

    本書は、その経験を生かしてスポーツという切り口から地域の活性化を巡って行政と住民の間に働くポリティクスを解題したものである。特に「総合型クラブ」をキーワードにして、人々のスポーツ実践という視点から跡付けた論考集になっている。初版は平成25年11月1日に発行。今から5年ほど前なので、「総合型クラブ」が現在も直面している解決困難な諸課題の背景や原因等を分析していて、大変興味深い内容になっている。

 

 そこで、今回は本書の内容概要を紹介しながら、著者の主張を踏まえつつ所感をまとめてみたい。

 

    本書は、「第Ⅰ部 地域とスポーツの邂逅―政策で主題化される「スポーツによる地域活性化」―」(第1章~第3章)「第Ⅱ部 総合型地域スポーツクラブをめぐる諸アクターの問題設定―政府・自治体が看過する生活者のインスティテューショナル・メモリー―」(第4章~第6章)「第Ⅲ部 地域活性化のポリティクス―スポーツ実践をめぐりすれ違う人々の「問題」設定―」(第7章)の3部構成になっている。全体を通じて著者は、「総合型クラブによる地域活性化」を掲げる現在のスポーツ政策の方向性に問題があると主張している。

 

    そもそも人間関係の希薄化や地域教育力の低下に代表されるコミュニティーの崩壊といった地域社会の抱える問題に対して、「総合型クラブ」というスポーツ組織を全国各地に作ることで対応しようとした事の始まりは、平成12年9月に策定された「スポーツ振興基本計画」であった。しかし、それまで政府は、地域活性化の「切り札」的手段として「総合型クラブ」を考えていたというよりも、あくまで「成人の週1回以上のスポーツ実施率を50%に上げるために」、その必要不可欠な施策として位置付けていた。

 

    ところが、当時の新自由主義の立場を取る政府から推進された行政機能の縮小化や分権化、民営化、予算削減等という政策の趨勢に、住民の主体性涵養や自助努力といった「総合型クラブ」の考え方が合致し、この政策を一層推進することになった。したがって、「総合型クラブ」の創設・運営は、地域住民のニーズを優先して実施されたわけではなく、実際にはそれまで自治体が担ってきたサービスや経費、労働の多くの部分が地元住民に転嫁されたので、地域に様々な力が重層的にかかることになったのである。つまり、スタート時点から「総合型クラブ」の「理念」が地域スポーツの「実態」よりも優先されたために、様々な問題を抱えざるを得なかったのである。

 

    先進地区である八王子市を事例にして、同市の地域活性化をスポーツの領域から支えてきた諸アクターに焦点化し市民スポーツの世界を検討している第Ⅱ部の内容は、「理念」から乖離する「総合型クラブ」の「実態」を明らかにしており、十分な説得力をもっている。特に従来から市民スポーツの推進母体であった「体力つくり推進協議会」を「総合型クラブ」へと看板を付け替ることでは、目標であった「生涯スポーツ社会の実現」や「スポーツ実施率の向上」に直接結びつかないという詳細な経緯の記述は、現実の重みを実感させるものである。

 

    我が県において設置済みの41団体の「総合型クラブ」は、各地域の活性化にどの程度貢献しているのであろうか。我が県においても「総合型クラブ」の実態把握と分析及びその考察を行った上で、今後の課題と方策等を明らかにすることが強く求められている。