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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「メメント・モリ」(死を想え)って、どういうこと?~重松清著『峠うどん物語(上)』を読んで~

 録画保存していた劇場版映画を再生し視聴したことをきっかけにして、その原作者の他の著書を読むという習慣みたいなものが身に付いてしまった。先月末に視聴した映画は、以前に重松清氏の原作を読んでいた『きよしこ』だった。著者の分身のような吃音の少年「きよし」は、言いたいことがいつも言えず、悔しい思いを抱きながら独りぼっちの境遇にいた。だから、思ったことを何でも話せる友達が欲しかった。その「きよし」が、小学校1年生になった年の聖夜に不思議な少年きよしこ」に出会い、それをきっかけにして「きよし」は一人、不器用に、不細工に素手の闘いを始めるのである。…『きよしこ』という作品は物静かな小説であり、それを映像化した映画もその特徴を生かした、しっとりとした作品に仕上がっていた。私は、映像を通して久し振りに重松作品の清々しい世界を堪能した。

 

 視聴後、私は若い頃からハマっていた重松作品の世界をまた味わってみたいと思い、書斎机の横に置いてある本立ての中にずっと積読状態にしていた文庫本『峠うどん物語(上)』を手にした。そして、ステイホームを続けていたGW中に読み始めた。本作品の舞台は、市営斎場の真ん前に建つ「峠うどん」といううどん屋。中学生の淑子は、共に小学校教師をしている父母の反対を押し切って、祖父母が営む「峠うどん」の手伝いを続けている。その淑子が出会う複雑でやりきれない事情を抱える人たちが、そっと伝えてくれる温かくて大切なことを描いた小さな物語の連作集。それが、本作品である。

 

 私はその小さな物語の中でも、第5章の「メメモン」という話に心が強く惹かれた。中学3年生の夏休みになっても「峠うどん」の手伝いをしている淑子は、小学6年生を担任している父親から自由研究のテーマに「お葬式の見学」を選んだ5人組の班のことを聞く。そして、そのお葬式見学部隊の世話を、父親は淑子のフォローもあって祖父母に頼み込むことに成功する。でも、見学初日に実際に参加したのは男子2人女子1人。そして、2日目には何と女子しか参加しなかった。そのミヤちゃんこと宮本さんという女子は、複雑な家庭環境にあった。8人家族だけど、今は一緒に暮らしているのは5人。曾祖母と祖父母が入院中なのである。特に曾祖母は最近、特別養護老人ホームに入所した後、容態を悪くして提携している病院へ移され、今は昏睡したまま酸素吸入と点滴で命をつないでいる状態である。その曾祖母は、ミヤちゃんが物心ついた頃には認知症に冒されており、嫌な思い出しか残っていない、まるで赤の他人同然の存在だった。だから、ミヤちゃんは曾祖母が亡くなった時に全然泣けないんじゃないかと心配している。そのミヤちゃんの見学の世話を淑子は引き受けるが…。

 

    題名の「メメモン」というのは、淑子の父が「お葬式の見学」をすることの意義について説明する際に引用した「メメント・モリ」(死を想え)というラテン語を、淑子の祖母が勝手に言い換えた言葉である。私は、この場面で「メメント・モリ」という言葉を見た瞬間に、若い頃に読んだというか観た藤原新也著『メメント・モリ』という写真集を思い出した。特にその中で「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」という文言を添えられた、片足を犬に食われている死体の衝撃的な画像が鮮明に蘇ってきたので、書棚の奥の方に仕舞い込んでいた同書を引っ張り出していた。そして、パラパラとページを捲りながら、当時、戦慄の中で抱いた“死”の無常さと“生”の有限性に対する自覚を改めて想い起していた。ただ、それらはまだまだ観念的なものに過ぎなかったのだが…。 

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 しかし、本書の「メメモン」という話の終盤で、開店前の準備で忙しく働く祖父母の背中を見ながら、淑子が自然に胸をじんとして語る、次のような箇所は「メメント・モリ」(死を想え)をより身近な言葉として実感的にとらえることができた。

 

 …家族がいる-。20年後にはおじいちゃんもおばあちゃんもいないかもしれない。30年後だと、たぶん二人ともいないだろう。20年前にはわたしは生まれていない。30年前だったら、お父さんとお母さんはまだ出会ってもいない。「いま」だから、この家族がいる。ふだんは「いま」と「いつも」の違いはほとんど感じなくても、「いま」は必ず過去のいつか始まって、未来のいつか、必ず終わってしまう。その終わってしまう「いつか」を思うことが、メメモンなのかもしれない。…

 

 「メメント・モリ」(死を想え)って、単に観念的にイメージするのではなく、いつか「家族が亡くなること」を実感することであり、まずは今「家族がいること」を実感することではないだろうか。この「メメモン」という短い話は、私にそのようなことを教えてくれる珠玉の物語になったのである。

 

 GWは、後半を迎える。『峠うどん物語(下)』には、私にとってどんな意味や価値を教えてくれる話が待ち構えてくれているのだろうか。早速、今日からそれを楽しみに読んでいくことにしよう。

「学校・家庭・地域の連携教育」は、「学校化社会」からの決別を可能にするか?~上野千鶴子著『サヨナラ、学校化社会』を読んで~

 4月25日(日)の午前中、NHK・BS1で再放送された<最後の授業「上野千鶴子」>を妻と一緒に視聴し、研究対象の変遷に伴って彼女が発してきた名言のいくつかを聞くことができた。上野氏は東大入学式のスピーチが話題になったり、「おひとりさま」シリーズがベストセラーになったりして、最近再び注目を浴びている社会学者である。振り返ってみれば、平安女子短大に務めていた30代の頃からフェミニズム運動や女性学のパイオニアとして活躍してきた彼女の発言内容に私は注目していたので、書棚にある彼女の処女作『セクシィ・ギャルの大研究-女の読み方・読まれ方・読ませ方』をめくってみると、至る所に傍線まで引いて読んでいた。また、その後も『構造主義の冒険』『スカートの下の劇場』『女遊び』『対話篇 性愛篇』『ミッドナイト・コール』『<人間>を超えて-移動と着地』(中村雄二郎との共著)等の軟硬入り乱れた著書を、その時々の課題意識に即して読んできた。その彼女が珍しく日本の教育事情について語った『サヨナラ、学校化社会』が、それらの著書とは別の書棚の中で眠っていたので、今回じっくり読んで自分なりの所感をまとめてみようかなと思い立った。

 

 そこで今回は、本書でいう「学校化社会」の意味や実情等に触れつつ、現在の教育界において強調されている「学校・家庭・地域の連携教育」は「学校化社会」からの決別を可能にするのかどうかを私なりに考えてみたいと思う。

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 本書の中で著者は、元々はオーストリアの哲学者・社会評論家・文明批評家として著名なイヴァン・イリイチがその著書『脱学校の社会』で、学校が本来の役割を越えて過剰な影響力を持つに至った社会を意味する用語として定義した「学校化社会」を、社会学者の宮台真司氏が現代日本の実情を踏まえて再定義した「学校的価値が社会の全領域に浸透した社会」という意味で使用している。言い換えれば、「偏差値一元尺度という学校的価値が学校からあふれて外ににじみ出て、その結果、この一元尺度による偏差値身分制とでもいうものが出現している社会」というような意味である。本書は今から20年ほど前に刊行されたものだが、偏差値教育の打破を謳って進めてきた今までの様々な教育改革にもかかわらず、上述のような社会の実情は未だに残存しているといっても言い過ぎではないと思う。

 

 では、日本社会においてこのような「学校化社会」が出現したのはいつ頃だったのだろうか。著者は、高校全入運動が盛んに叫ばれていた1970年代以降のことであろうと指摘している。そうすると1954年生まれの私は、著者のいう「学校化世代」に当たる。だからという訳ではないが、偏差値教育に違和感を抱きながらもその中を生きてきた私は、著者が批判している「学校化社会」の問題点についてよく理解できる。例えば、偏差値の高い学校歴をもつ人材は、未だに企業の採用において有利である。そのために、偏差値の高低によって受験校を決めるような進路指導体制も温存されている。結局そのことは、子どもたちに常に現在を未来のために手段とするような生き方を強制し、優等生と劣等生を選別していくのである。

 

 さて、そのような学校的な価値の一元化を生む「学校化社会」の下での優勝劣敗主義が、一方で敗者の不満、他方で勝者の不安という、負け組にも勝ち組にも大きなストレスを与えるのだったら誰もハッピーにしないと、著者は鋭く指摘している。そして、今流行の「学校・家庭・地域の連携教育」も、全ての大人が学校的価値に一元化している現状では、家庭や地域において多様な価値観が存在し、それなりに尊重されていた「学校化社会」出現前の時代とは異なり、その有効性はあまり高くないのではないかと危惧している。確かに、私が小学生の頃までは家庭には学校とは違う価値観があり、地域には様々な場所に多元的な価値観が存在していた。その中で、私は自分の生存戦略を学んでいったように思う。だから、私は家庭の事情や部活動等のために偏差値を考慮に入れないで自分の意志で実業高校へ進学したし、肘の怪我のためにやむなく退部した後には急きょ大学進学を目指し、偏差値基準では到底無理だった地元国立大学教育学部へ入学するような道を歩むことができたのかもしれない。

 

 だとすれば、「学校化社会」から脱却するための「学校・家庭・地域の連携教育」の在り方で最も必要とされることは、一人一人の大人が自然と身に付けてしまった学校的価値を客観的に相対化し、その呪縛から自分を解放して、自分が気持ちいいと思えることを探り当てながら、将来のためではなく現在を精一杯楽しく生きるように変容することではないだろうか。そうなれば、価値観の多様性が本当の意味で保障される優しい社会になり、一人一人が安心して生きていける生存環境になっていくに違いないと、私は考える。

約30年前、この本が「学びの総合化」へ向けた教育研究推進の後押しになった!~日沼頼夫著『新ウイルス物語-日本人の起源を探る』を再読して~

 日中少し汗ばむような陽気になった日に、私は久し振りに自転車で市内の古書店巡りをした。その中で、教職最後の勤務校の校区内に当時開店した古書店を6年ぶりに訪れた時、思わぬ本と再会した。それが、『新ウイルス物語-日本人の起源を探る』(日沼頼夫著)である。地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務し始めて5年ほど経った頃だったと思うが、私は現在の学校のカリキュラムに位置づけられている「総合的な学習」の先行実験的な教育実践研究に取り組んでいた。そして、その実践研究を推進する上で私が常に念頭に置いていた問いは、「なぜ総合的な学習が必要なのか?」であった。だから、私の教育研究のアンテナは、総合的な学びの必要性に関する問いに答えてくれそうなことに敏感に反応するようになっていた。そのアンテナに偶然引っ掛かってきたのが、本書だったのである。

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 教育に関する実践研究はもとより理論研究にも没頭していた30代の私は、本書をむさぼるように読み、その内容に知的興奮を覚えた。そして、同僚の研究熱心な先生たちに対して、本書の内容がもつ教育的な意味や価値等を興奮した勢いのままに語った。その後、私の話に興味を持ってくれた先生の中の一人に、本書を貸したところまでは覚えている。しかし、しばらく時間が経過して気が付いた時には私の書棚から本書の姿が消えてしまい、現在に至ってしまったのである。その本書に、今回の古書店巡りの中で奇遇にも再会したのである。私はもう一度あの濃密な時間を取り戻したくなって改めて入手し、ここ数日間当時を思い出しながら読み耽った。

 

 そこで今回は、本書の中で当時の教育研究的な問いに関連する内容について要約した上で、現在の学校で実施されている「総合的な学習」の教育的な意味や価値等について綴ってみたいと考えている。

 

 ところで、絶望的だと思われていた東京五輪代表を決め、「奇跡の復活劇」を見せた競泳の池江璃花子選手が発症したのが、血液のがんである白血病であったことはよく知られている。当時18歳だった池江選手を襲ったのは「急性リンパ性白血病」であったが、本書で扱っているのは同じくリンパ球ががん細胞になる「成人T細胞白血病(ATL)」であり、本書の内容の骨格はその原因になっているATLウイルスの血清疫学の仕事である。ただし、本書は単なる医学的な研究だけに留まらず、意外にも“日本人の起源”という人類学的な研究にまで進んでしまった経緯についても記述されており、この点が私にとって「総合的な学習」の必要性についての教育的な意味や価値等を実感させることになったのである。まず、この点に関連する本書の内容を要約してみよう。

 

 1977年、当時、京大病院第一内科で診察と研究に従事していた高月博士が、今までに世界で報告されたことのない新しい型のリンパ性白血病に「成人T細胞白血病(ATL)」という病名を与えた。この病気は40代から60代の大人に最も発病し、成熟したT細胞が白血病細胞になるという特徴がある。感染経路のルートは、母子間と夫婦間という家庭内に限定されているため、まるで遺伝のように子々孫々伝わってきている。患者の多くは、発病すると急速に悪化の一途を辿り、衰弱が進んで、最期には肺炎等を併発して死亡する。患者の約50%は半年以内に、残りのほとんども2年以内には亡くなる。ただし、感染から発症までの潜伏期間が長いため生涯に発症する確率は5%程度とされている。

 

    1981年、著者たちの研究室からこの白血病の原因となるATLウイルスというレトロウイルスの発見が発表された。そして、このウイルスに感染している系統の人たち(キャリアという)の分布を調べてゆくと、九州・沖縄に圧倒的に多いが、他の地方、例えば北海道・東北・四国の一部にも見つかった。また、これらのキャリアは都市部には少なく、離島・海岸僻地に多いことも分かった。そのような調査結果に基づき、著者は次のような仮説を提出した。

 

    日本列島の北海道・本州・四国・九州および沖縄に広く分布するATLウイルス・キャリアの先祖は、日本の先住民であろう。これが古モンゴロイドであり、ウルム氷期中央アジアから東進して東北アジアに到り、その一部は日本列島に到った。これが日本の先住民(縄文人)であり、この人たちはATLウイルスを保有していた。その後、弥生時代あるいは縄文時代末期に新たにモンゴロイド弥生人)が大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て九州に上陸し、山陽道を経て大和(近畿地方)に到った。この人たちはATLウイルスを保有していない。そして、稲と鉄という当時のハイテクノロジーを持ってきた。彼らは大和に朝廷を立てて北へ進んだ。それは東北にも到る。南へも進んだ。それは九州に到った。北の北海道、南の沖縄へも大和の人々が移動してきたのは16世紀以降である。この間に、この渡来者であった大和人(弥生人)は先住民(縄文人)と混血をしながら、その勢力を拡大していった。現在のATLウイルス・キャリアのコロニー(集落)の人々は大和の人々との混血が比較的少なかったものであろう。北海道および東北地方の僻地、辺境にコロニー状に散在するキャリアの集団には、古モンゴロイドたる先住民の血が濃く伝わっているであろう。これは南でも同様である。九州と沖縄にはキャリアのコロニーが多数残っている。特に沖縄の人々は、ほとんどが濃くこの先住民の血を残している。したがって、北海道・東北の先住民も九州・沖縄の先住民もATLウイルス・キャリアであるから、これらは同じ先住民であったに違いない。

 

 私は当時、この仮説内容に唸った。それと言うのも、当時、哲学者の梅原猛氏が、言語学的な知見に基づいて「アイヌは原日本人である」という仮説を提案していたからである。いわゆる「梅原古代学」なるものに、私は魅入られていた。また、他の人からも「琉球語アイヌ語は原日本語である」という仮説も提出されていたと記憶している。だから、このような仮説と、著者が提起した上述の仮説はほとんど同じであることに驚いたのである。そして、その後、これらの仮説を支持する重要なデータが提出されたことで、私はさらに驚嘆の声を上げた。それは、アイヌの人々のATLウイルス抗体陽性率が非常に高いことが分かり、その陽性率は琉球人をも凌いでいたのである。このデータは、ATLウイルス・キャリアは日本の先住民という仮説を強く支持するものであった。

 

 私は、このような本書の内容から「私たちを取り巻く事物・事象の奥に潜む真理をつかむためには、たこつぼ型の学問研究だけではなく、各学問分野を超えた学際的なアプローチが不可欠になることがある。自然科学や人文・社会科学という区分も研究の入り口においては必要だが、その真理探究の過程ではそれらの区分を取り払って総合的に探究する学びが求められることがある。」ということを学んだのである。このことは、学校教育における学習でも同様のことが言えるのではないか。確かに各学問体系を背景にした教科という学びの枠組みは必要かもしれないが、様々な事物・事象に出会った子どもが、そこから素直な疑問をもちそれを学習課題として主体的に醸成した場合は、その課題解決過程においては各教科の枠組みを超えた総合的な学びが必要になることもあるであろう。そのような学習過程を構想することができる場合は、教科という枠組みではなく、「総合的な学習」という枠組みの中で学習に取り組ませる方が効果的なのではないか。当時、私の念頭から離れなかった問いである「なぜ総合的な学習が必要なのか?」の有力な答えを、本書から教えてもらったのである。本書こそ、「学びの総合化」へ向けた教育研究を精力的に推進していた当時の私の後押しをしてくれたのである。

 

    今回、本書を再読して、当時の教育研究への熱い思いが蘇ってきて、本当に久し振りに知的な興奮が再燃してきたような気がした。老年になってくると、このような読書も心身の活性化を促す上で必要なのかもしれない…。あ~、楽しかった!!

身近に存在する祖父は、孫にとってどのような意味をもつのか?~湯本香樹実著『西日の町』を読んで~

 二女と孫Mが自宅マンションへ戻ってから、日常生活に時間的・精神的な余裕ができたので、今までに録画保存していた数本の映画を再生して視聴した。その中で、初孫Hの満4歳の誕生日だった本年2月11日にNHK総合で放送された『岸辺の旅』が、私の心に不思議な波紋を広げていった。本作品は、2015年に第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品され、黒沢清氏が監督賞を受賞したことで評価を高めた映画である。また、失踪した後に霊として戻ってきた夫・優介役の浅野忠信と、その妻・瑞希役の深津絵里が、幻想的な旅路の中で微妙に揺れ動く夫婦の内面を繊細に演じている点も好評を得た名作である。

 

 私は本作品を視聴した後、その余韻をじっくりと味わっている内に、原作者の湯本香樹実という作家に興味が湧いてきて、今度は活字で表現された他の小説を読んでみたくなった。私は早速、馴染みの古書店に出掛け、書棚に並んでいた幾つかの作品の中から『西日の町』という作品を選んだ。その理由は、本書の主な登場人物が、若い母親と十歳の「僕」、そして「てこじい」という祖父だったからである。私は、「僕」にとって「てこじい」の存在がどのような意味をもっているのかを知りたかったのである。そう、そのことは「孫Hにとって身近に存在する私の意味」を自覚することにも繋がると考えたからである。

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 そこで今回は、まず本書のあらすじを簡単に紹介した上で、「孫にとって身近に存在する祖父の意味」という視点を中心にした私なりの読み取りと、その所感をまとめてみたい。

 

 本書は、今は医科大学の先生をしている「僕」が、かつて北九州の小倉を思わせる町の、夕日の当たるアパートに、母親と二人で住んでいた少年の頃の思い出を描いている。父親は、他の女性とどこかで家庭を持つようになり、母親と「僕」を捨てていた。母親は、自分に社宅の便宜を与えてくれた上役との不倫関係に悩み、妊娠した赤ん坊を産むか産まないか決断できずにいる。そこに昔は無頼の限りを尽くし、今はホームレス同然になっている祖父「てこじい」が現れて、彼らと同居を始める。「てこじい」は、ほとんど六畳の端にうずくまって動かない。母親は、父親である「てこじい」に対してわざと意地悪く、またある時には気を遣うように優しく接する。「僕」は、母親と「てこじい」の複雑な親子関係における歪んだ愛情のかたちを観察しながら、次第に大人の世界に入っていく気持ちを受け入れるようになる。

 

 それにしても、なぜ「てこじい」なのか?おそらく小さい頃からがむしゃらな性格で、「がんがんてこ」(勢いのよい赤子の意味か?)と呼ばれていたからではないかと思う。さらに、六畳間で「てこ」でも動かなかったからかも知れない。とにかく「僕」と母親は、そう呼んでいたようだ。その「てこじい」が心臓と肝臓を病魔に侵されて先行きが怪しい状態の中、無一文で居候になっていたお礼にと、遠い海まで潮干狩りに出掛けて、盗んだ防火用バケツに山盛りの赤貝を持って帰って来る。そして、これを刺身にして三人が束の間の家族団欒の食卓を囲む。私は、この「てこじい」の細やかな行為が、母親や「僕」を生の方に視線を向けるきっかけになったと思う。

 

 「てこじい」の死後、特に十代の半ば頃の「僕」が法事で北海道に行った折に、大叔父たちに彼のことを積極的に質問する場面がある。気性も見た目もちっとも「てこじい」に似てない「僕」が、自分の中に多少なりとも意外性のある何かが眠っているとすれば、それは「てこじい」から譲り受けたものに違いないと思ったから、彼のことを知りたがったのである。私は、このことから「孫にとって身近に存在する祖父の意味」について、次のように考えた。

 

 年老いて死に一番近い祖父の存在を身近に見る孫は、祖父の生前の生き様がプラスな面だけでなく、仮にマイナスな面を持っていても、その「死」によって何某か「生」への意味付けを与える。それは、祖父が辿ってきた一人の男の人生の重みや深みのようなものが、為させるのである。できれば、孫と直に接する過程で情愛豊かな心の交流が図れていれば、その分だけ祖父が与えるであろう「生」への意味付けは大きな価値をもつものになるであろう。ここにこそ、「孫にとって身近に存在する祖父の意味」があるのではないだろうか。

 

   「私はそのような意味を孫Mが実感することができるような接し方を、生命のある限りしていこう。」と、そっと心の中で誓った。

二女と孫Mが自宅マンションへ戻り、じじばばは孫ロス状態になっています!

 先週の金曜日、4月16日に二女と孫Mが我が家から自宅マンションへ戻った。前夜、いつもとは違い、Mは2回続けて3~4時間ほど寝てくれたので、私たち3人はまとまった睡眠時間を確保することができた。「何とママやじじばば孝行なのだろう!」と、私たちは爽やかな目元をお互いに見合いながらMを褒め称えた。当日は、午前中2度目の授乳後に、私がいつもの自己流の子守歌でMを寝かし付けたらすぐに入眠したので、10時前にはチャイルドシートに乗せた。そして、Mの付き添いで妻も同乗した二女の普通乗用車と、我が家で使用していた様々な育児用具を載せた私の軽乗用車の2台で、我が家を出発した。高速自動車道を利用して約1時間半のドライブだったが、幸いその間Mはぐっすり寝ていたそうである。

 

 正午過ぎに2台の車は、二女たちの自宅マンション駐車場に到着した。到着後、すぐに育児用具を運び入れ、子育てのための準備を整えた。しばらくするとMが泣き始めたので二女がオムツ替えと授乳をして、その後、じじばばが寝かし付けた。そして、3人で更なる子育て環境の整備と入浴の準備等をしていたらもう4時過ぎになったので、妻の援助を受けて二女がMを入浴させた。その後、二女が夫婦の夕食と生活必要必需品等の買い物に出掛けた。二女が帰宅してから、入れ替わりに私たちじじばばが洗濯用の突っ張り棒を買いに出掛けて、帰ると時計の針は18時半過ぎを指していた。Mはベビーラックですやすやと眠っていた。私たちは帰りに二女の夫の実家へ立ち寄る用事があったので、心残りではあったが19時前に二女たちの自宅マンションを出発した。何とか短時間で所用を済ませて私たちが帰宅したのは、21時半頃だった。本当に長い1日になった。

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    それにしても、新米ママの子育てサポート=孫育ての日々は大変だった。Mの授乳やオムツ替え、沐浴および入浴、寝かし付け等の世話をサポートするのだが、何分にも二女は初めての育児経験なので、最初の頃は私たちじじばばの負担も大きかった。また、二女がMの世話を主にできるようになっても、より手際よく効果的にできるためのコツを身に付けるためには、あまり口出ししないで見守りながら足らざるところをサポートする必要もあった。そのために、既に還暦を過ぎている私たちじじばばは、身体のあちこちに痛みが起こったり精神的な疲れも出てきたりしてきた。特に妻は食事から洗濯等の家事全般も担いながら夜間も二女の傍で寝て、Mの世話をする二女のサポートをしていたから、心身の疲労が限界にきていたのではないかと思う。その点、私の方は家事も手伝い程度で、二女の子育てサポートと言っても昼間の寝かし付けが主な役目だったから、大して疲労感が残ることもなかった。しかし、それでも途中からMの寝かし付けを夜間もするようになり、さらに最後の方ではMのオムツ替えや入浴等もすることになったから、少し疲労感が溜まってきていた。そろそろ限界に近づいてきているとおぼろげながら考えていた時、二女から「今週の土曜日はMが生まれて2か月目になるから、その前に自宅へ戻る。」という申し出があり、先週の金曜日にそれを実行に移したという訳である。

 

 ここ数日間、私たちじじばばは孫ロスの状態になっている。何と言っても、約2か月間、新米ママの二女の子育てをサポートするべく、孫育てに奮闘してきたのだから仕方がない。それにMとのかかわり合いが日に日に多くなるにしたがって、Mに対する愛情が深くなってきたのだから当然だ。確かに二女と孫Mが帰ってから、表面上は元の穏やかで平坦な暮らしに戻ってきた。しかし、その内面にはポッカリと大きな穴が開いたような感じがする。特に、赤ちゃん特有のMの匂いがふと嗅覚に蘇る時には、何とも言い難い懐かしさとともに物寂しい心情に陥ることがある。そんな時には心の中が切ない感情に支配されてしまう。また、二女たち夫婦が我が子Mの子育てをすることが当然だと頭では分かっている反面、身近にいてMの世話をしてやりたいという願望が起きてくるというアンビバレントな心理状態になってしまう時もある。

 

 そのような中、昨日は、この2か月間ほど我が家に遊びに来るのを我慢していた4歳の初孫Hが、長女に連れられて久し振りに訪れて、約1時間元気に遊んで帰った。整頓するために片付けていた様々なおもちゃを取り出して、室内の至る所で楽しそうに遊ぶHの相手をしながら、私は「そうそう、2か月前まではこんな感じだったなあ。」と呟いていた。この調子だと、孫Mロスの状態から脱出するのに、そんなに時間が掛からないかもしれないなあ…。

「♯教師のバトン」プロジェクトって何?教職はブラックな職業?…~井岡瞬著『教室に雨は降らない』の中に教職の魅力を見た!~

 3月下旬から私のTwitterのタイムラインに、「♯教師のバトン」というハッシュダグを付けたツイートが散見されるようになった。その内容を読むと、教職のブラックな面について綴られたものが多い。しかし、私はそのような内容で「♯教師のバトン」を付けるのは何だか不自然だなあと思い、インターネットで検索して調べてみた。すると、意外にも「♯教師のバトン」というのは、本年3月26日に文部科学省が教員の声を「学校の働き方改革」の一助にしようという取組のために掲げた官製ハッシュタグであった。そして、この「♯教師のバトン」プロジェクトは、文科省が2月に発表した「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プログラム」を踏まえて、Twitterを主軸に開始した新たな「学校の働き方改革」関連施策だそうである。

 

 では、なぜTwitterが主軸なのか。それは2016年頃からTwitter上で、「教員の部活動負担の軽減」を出発点にした「学校の働き方改革」についての議論が一気に高まったという事実が背景にある。教育現場の教師の苦悩の声が吹き荒れて以来、「学校の働き方改革」の聖地とも言われるようになったTwitter空間。そこに文科省が、公式Twitterアカウント「♯教師のバトンプロジェクト【文部科学省】」を立ち上げたのだから、そのツイート内容は教職のブラックな面に偏るのは、当然と言えば当然の話であろう。

 

 一体、文科省による本プロジェクトのねらいは、どこにあったのだろうか。文科省のウェブサイトを開いてみると、次のような目的が示されていた。

○ 本プロジェクトは、学校での働き方改革による職場環境の改善やICTの効果的な活用、新しい教育実践など、学校現場で進行中の様々な改革事例やエピソードについて、現職の教師や保護者等がTwitter等のSNSで投稿いただくことにより、全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを社会に広く知っていただくとともに、教職を目指す学生・社会人の方々の準備に役立てていただく取組です。

 

 投稿は、教師や教職志願者のみにとどまらず、児童生徒や保護者、地域住民からも受け付けている。また、Twitterだけでなく、noteでの投稿も推奨しており、それぞれの公開アカウントを有していない場合でも、特設フォームで意見を表明することができる。さらに、ウェブサイトには次のような「投稿の留意点」まで示している。

① 児童生徒等の個人情報漏洩、個人の特定につながる投稿は禁止です。

② 投稿にあたり、所属長からの許諾等は不要です。

③ 寄せられた投稿のうち、文部科学省の判断でより広く教師や学生に知っていただきたい内容を選び、紹介します。

④ 本フォームは、文部科学省への意見や質問を投稿し文部科学省が回答するためのものではありません。

この中の②の留意点は、現場の教師にとって大きな安心感を与えるものだが、逆に教職のブラックな面やネガティブな情報等を投稿しやすくする要因にもなってしまった。そのために、本プロジェクトは文科省が「教職の魅力向上に向けた広報の充実」の施策の一環に位置付けていたにもかかわらず、多くのツイート内容はそのねらいと随分異なるものになってしまった。さて、どう対応するつもりなの?文科省

 

 ところで、ここ最近の私の就寝前後における読書対象は、『教室に雨は降らない』(井岡瞬著)であった。上述の「♯教師のバトン」のツイート内容に影響を受けてか、何となく学校現場を舞台にした小説を読んでみたくなり、馴染みの古書店で入手したものである。主人公は、公立小学校で音楽の臨時講師として働く森島巧、23歳。本作品は、腰掛け気分で働いていた森島が、学校で起こる予想外の様々なトラブルに巻き込まれる中で、モンスターペアレントやいじめ、無気力教師、学級崩壊等の問題にぶつかり、手探りで解決していく連作ミステリーなのだが、その問題解決の過程で森島が次第に教職の魅力に目覚めていくという、爽やかな青春小説仕立てにもなっている。

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 私は、拙いながらも真摯に子どもたちのあるがままの実態を見極めようとする振る舞いや、音楽教育を通して子どもたちの自主性や主体性を育てようとする森島先生の教育観に、リアリティーのある若年教師の姿を想像することができた。また、管理職や同僚の教師たちの複雑な人間関係の中で、半人前扱いをされながらも少しずつ経験を積み重ねつつ成長していく姿に、私自身が青年教師であった頃の出来事を思い出し、今更ながらその至らなさに恥じつつも教育にロマンを感じて取り組んでいた自身と重なり合うことがあったので、共感をしながら読み通すことができた。

 

 確かに森島先生はフィクションの世界の教師であり、現実の教育現場は長時間労働を強いられ、疲れ果てて理想の教育とは程遠い教育実践しかできていない教師が多いのではないかと推測し、リアリティーがあると言っても所詮ある種の理想的な教師像を造形していると思う。本作品には具体的な場面として描かれていないが、教師の日常においては日々の授業実践やそのための教材研究や準備等、教育評価や成績処理、個別の生徒指導、教室掲示物の張り替え、担当する校務分掌における事務処理、学校内外における公的研修会や研究会及び学年会等の会合への参加と報告書等の作成、保護者や地域の方々への具体的な対応等の夥しい量の業務内容があり、本当に多忙なのである。元教員の私は、このような実態を十分過ぎるほど分かっているつもりであるが、それでも「しかし…。」とつい呟いてしまう。

 

 そうなのだ。しかし、教職には教職に就いた者にしか味わえない喜びや楽しさがある。もちろんどのような職種であっても、その職種に従事した者にしか味わえない手応えがあると思う。だから、教職だけが特別だと言いたい訳ではないが、「個人や社会の未来を拓いていくために、人間形成や学力向上を図る日常的な営みを行うことで、確かに成長・発達していく子どもたちの姿を身近で実感することができる手応え」はやはり大きな充実感や成就感を味わうことができる。そのような教職の魅力を多くの人々に知ってもらいたいし、これから教職を目指そうと考えている学生や社会人には分かってほしいと私は念願している。

 

 そうはいっても、現実的な教職のブラックな面を放置しておいてよい訳はない。文科省には、「♯教師のバトン」を付けたブラックでネガティブなツイートに対しても真摯に向き合い、それらの問題点を一つ一つ具体的に解決する手立てを講じてほしいと切に願う。実は今、文科省は自身が学校に直接課している負荷を削減しようという取組を始めた。本年3月12日、萩生田文部科学大臣中央教育審議会の第128回総会において、「教員免許更新制度についての抜本的な見直し」を検討するよう諮問したのを始め、文科省は学校や教育委員会から特に要望の多かった「部活動の見直し」(地域への移行等)や「教育課程の見直し」(標準授業時数の削減等)、「学校向け調査の削減」(調査設計の削減や統合等)、「学力学習状況調査」(学校にかかる負担の軽減等)も、思い切った削減や廃止を実施する方向で検討している。これらが具現化されていけば、森島先生のように教職の魅力に目覚め、教職を目指そうとする学生や社会人の準備に役立つようなポジティブな「♯教師のバトン」のツイートが増えてくるのではないだろうか。

 

   では、私も現職の時に実施した「学校の働き方改革」の細やかな実践例でも、Twitterで「♯教師のバトン」を付けて呟いてみようかな。…

働かざるもの食うべからず?~泉谷閑示著『仕事なんか生きがいにするな-生きる意味を再び問う』を読んで~

 私に実存的な問題として浮上してきた「なんとなく退屈だ」という気分との闘いについての方策は、前回の記事に具体的なイメージ内容として示すことができた。それに対して、もう一つの実存的な問題、つまり「社会的に有意義な仕事をしていないと人生を充実できないのではないか」というロマン主義的な価値観の揺らぎへの対応についての方策は、まだその解決の方向性を見出せていていない。

 

 ただし、本年3月17日付け当ブログの記事<「暇」の中で「退屈」せずに生きる術を知る階級?仕事こそ生き甲斐と感じている階級?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ④~>の中で、著者の國分氏が取り上げていた経済学者ソースティン・ヴェブレン著『有閑階級の理論』や同じく経済学者ジョン・ガルブレイス著『ゆたかな社会』におけるキー・コンセプトに関連して、仕事や労働に関する私の考え方を明らかにしておいた。それは、「額に汗して労働することだけが幸福をもたらす」とか「仕事が充実すべきだ」とかという考え方である。そして、そのような考え方を、私は「生の意味」や「人生の充実」を求めるロマン主義的な考え方と連結させて、自身の価値観として根付かせてきたことも示しておいた。

 

 そこで今回は、上述したような私の中にある仕事や労働に関連するロマン主義的な価値観について、その形成過程を辿りながら相対化を図り、今後の考え方の方向性を見出していきたいと思う。その際に、いつもの如く積読状態にあった本『仕事なんか生きがいにするな-生きる意味を再び問う』(泉谷閑示著)を読んで参考になる箇所を援用しながら、もう一つの実存的な問題を解決する糸口を見つけたいと考えている。

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 それにしても、私はいつ頃から「社会的に有意義な仕事をしていないと人生を充実できないのではないか」というロマン主義的な価値観を形成してきたのであろうか。私の自分史を振り返りながら、その形成過程の探ってみよう。

 

 以前の記事でも触れたことがあるが、私は小学校中学年頃に母子家庭になり、経済的には困窮生活を余儀なくされた。協議離婚の際に母親に付いていくことを決意した時に、その覚悟はできていたので、貧乏な暮らしに対してそれほど苦痛に思ったことはない。もちろん私が少年期から青年期に成長する時期は、我が国は「高度経済成長期」だったこともあり、貧乏ながらも少しずつは生活レベルが向上していったという背景があるかもしれないが…。そのような中、私は多感な思春期を迎える頃には、「物質的な豊かさより精神的な豊かさを求めることこそが人間にとって幸せなのだ」という価値観を自然に身に付けたと思う。それ故か、青年期になる頃には、将来なりたい職業について、営利目的ではなく公共目的の職業に就きたいと考えていたように思う。

 

 もう一つ、どのような経緯からだったかは覚えていないが、思春期の頃から労働や仕事に関する内容で無意識に記憶した言葉があった。それは、「働かざるもの食うべからず」という言葉である。一般的には「働けるのに働こうとしない者は、食べることもしてはならない。」という意味だが、私は「生きていくためには、働かなければならない。」というより強制的な意味として受け止めていたように思う。なぜ、そのような強制性をもった意味付けをしていたかは定かではないが、先日、本書を読んでいる時にこの言葉の由来について言及している箇所を見つけ、その理由の背景みたいなものを知り、なるほどと思った。

 

 その箇所とは、社会学マックス・ヴェーバーが1904年に発表した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、カルヴァン派から派生したピュウリタニズムの代表的信徒であったバックスターの主著の内容に触れた、次のような箇所である。…ところで、労働はそれ以上のものだ。いや端的に、何にもまして、神の定めたもうた生活の自己目的なのだ。「働こうとしないものは食べることもしてはならない」というパウロの命題は無条件に、また、誰にでもあてはまる。労働意欲のないことは恩恵の地位を喪失した徴候なのだ。…

 

 そうなのである。「働かざるもの食うべからず」という言葉の起源は、一つのキリスト教的倫理観を表わしたものだったのである。このことは、我が国に資本主義が輸入されたと同時に、知らず知らずのうちに、「労働」に禁欲的に従事すべしという「資本主義の精神のエートス」までもが輸入されていたことを表わしている。さらに、私が「教職こそ天職だ。」という時の「天職」という言葉も、宗教改革の際にマルティン・ルッターが聖書翻訳で登場させた「天職Beruf」という概念から始まっていたことも記されており、私は知らぬ間に世俗的日常労働に宗教的意義を認めるキリスト教的思想をもっていたことになる。これらのことから、私はひたむきに「天職」を遂行することが「世俗内禁欲」という徳のある生き方であるというプロテスタントの価値観を基に、「労働」して稼ぐことこそが善行であるととらえるようになるとともに、「働かざるもの食うべからず」といった「資本主義の精神のエートス」をもつようになったのだろうと思う。

 

 しかし、このような考え方は、仕事や労働によってほとんどが占められている生活を生み、その結果として生活を奴隷的で非人間的なものにしてしまう危険性を孕んでいるのではないだろうか。それに対して、著者は儲かるとか役に立つとかいった「意義」や「価値」をひたすら追求する「資本主義の精神のエートス」というものから、各自が目覚めて生き物としても人間としても「意味」(「心=身体」による感覚や感情の喜びによってとらえられるもの)が感じられるような生き方を模索することが、これからの私たちに求められている課題だと述べている。私はこのような著者の考え方を本書で知り、「働かざるもの食うべからず」という言葉の呪縛から解き放たれる必要性を痛感した。そして、仕事や労働にとらわれない日々の生き方や在り方を、じっくりと考えることができる地点に達したと、私は今、実感している。

なぜ人は「退屈」するのか?私は「退屈」とどのように向き合うのか?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ⑩~

 いよいよ本書に関する10回連続記事の最終回になった。今回は、前回からの宿題である、著者の総括的な結論を受けて、私なりに今までの生き方や在り方を振り返りつつ、私を不意に襲った実存的な問題(「暇」の中で「退屈」してしまうという事態にどのように向き合うかという問い)に対する具体的な回答内容をまとめようと思うが、その前に本書『暇と退屈の倫理学』新刊の末尾に所収されている付録「傷と運命」の中で、私にとって大きな意味をもつと思った内容について触れておきたい。

 

 著者が、「なぜ人は退屈するのか?」という本書の主題に関わる基本的な問いに答えるための準備作業として執筆したのが、付録「傷と運命」である。この文章は、「退屈」という不快な現象の存在そのものを問う、<暇と退屈の存在論>へと向けた一つの仮説を提示したものであり、私にとってはその内容が実感的に納得できるものであった。以下、その概要について述べていこう。

 

 著者は精神医学等で「精神生活にとっての新しく強い刺激、興奮状態をもたらす未だ慣れていない刺激」を意味する「サリエンシー」という専門用語を導入して、「自己の身体」や「自己」がサリエンシーへの慣れへのメカニズムから生起することについて、おおよそ次のように解説している。

 

    人間が繰り返し同じ現象を体験することでそれに慣れていく過程とは、その現象がもっている「こうすると、こういうことが起きる」という反復構造を発見し、それについての予測を立てることができるようになる過程だと考えられる。つまり、サリエンシーに慣れるとは、予測モデルを形成することなのである。しかし、環境やモノ、他者の反復構造には、その反復される事象の再現性には度合いがある。予測モデルが立てにくい現象もあれば、実に再現性を備えた現象もある。精巧な予測モデルを立てられる現象、つまり自分と地続きのように感じられる現象は、身近な現象と感じられるであろう。逆に、予測モデルが不安定であらざるを得ない現象は、疎遠なもの、場合によっては不気味なものに感じられるかもしれない。

 

 すると、この予測モデルの再現性の度合いという考え方から、「自己」と「非自己」の境界線そのものがこの度合いによって決められていることが推測される。おそらく、予測モデルが立てられる現象の中で、最も再現性の高い現象として経験され続けている何かが、「自己の身体」や「自己」として立ち現れるのである。このことは、環境やモノや他者を経験する「自己の身体」や「自己」は、最初から存在しているのではないということを言っている。つまり、まず「自己」があって、それが環境やモノや他者というサリエンシーを経験しているのではなく、「自己」そのものがサリエンシーへの慣れの過程の中で現れるということである。

 

    では、慣れることが到底不可能なサリエンシーに遭遇した時、人はどうなってしまうのだろうか。この点に関して、著者は小児科医の熊谷晉一郎の「疼痛研究」において紹介されている、慢性疼痛(身体組織から原因らしきものがなくなったにもかかわらず痛みが治まらない疼痛のこと)の謎を解き明かしつつある状況を取り上げて、次のように答えている。

 

 疼痛研究をリードする研究者A・ヴァニア・アプカリアンによれば、慢性疼痛とは、急性疼痛(損傷や炎症から来る痛みのこと)の刺激が消失した後にも、神経系の中に「痛みの記憶」が残ってしまう状態と考えられている。このことは、「記憶」も痛みの原因たり得ることを意味している。もともと「記憶」は全て痛む。それはサリエンシーとの接触の経験であり、多かれ少なかれトラウマ的だからである。だが、痛みを和らげ興奮量を抑えようとする生命の傾向は、そうしたサリエントな経験への慣れを絶えず作り出す。このメカニズムによって、私たちは傷を負いながらも、痛みをほとんど感じることなく生きていくことができるのである。ところが、慢性疼痛は、何らかの原因によって痛みの記憶の持続が発生したと考えられる。

 

 さらに、著者は熊谷が紹介している慢性疼痛に関する次のような興味深い事例を取り上げている。アプカリアンによる実験によると、慢性疼痛を感じている患者は、外部から与えられる急性疼痛の痛み刺激を「快」と感じるというのである。このことは、慢性疼痛患者が潜在意識の中では急性疼痛を求めている可能性を示唆している。慢性疼痛が起こっている場合、人はサリエンシーに反応しやすくなり、物事を無意識のまま自動的にこなすことができず、過剰に過去の「記憶」を振り返り、自己に対する反省を繰り返してしまう状態に陥っているのである。言わば、痛みの慢性化は、「記憶」という傷跡の過度の参照を伴っているということである。

 

 以上のような議論を踏まえて、著者は「なぜ人は退屈するのか?」という問いについて、次のような一つの仮説を提示している。

 

 人はサリエンシーを避けて生きるのだから、サリエンシーのない、安定した安静な状態、つまり何も起こらない状態は理想的な生活環境に思える。ところが、実際にそうした状態が訪れると、何もやることがないので覚醒の度合いが低下する。すると、心の中に沈殿していた痛む記憶がサリエンシーとして内側から人を苦しめることになる。これこそが、「退屈」の正体ではないだろうか。絶えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられないのは、外側のサリエンシーが消えると、痛む記憶が内側からサリエンシーとして悩ませるからではないか。

 

 この仮説は、私にとって実感的に納得がいくものである。1月まで勤務していた職場では強烈なサリエンシーとしてのKによって絶え間ない刺激があり、私はそれに耐えかねて退職したが、今度は完全にフリー状態になりそうな事態を迎えると何もサリエンシーがなくなり、それにも耐えられないという「退屈」の予感に覆われそうになったことは、まさにこの仮説の通りではないだろうか。また、著者の次の指摘にも、深く首肯してしまった。…サリエンシーに慣れる過程の蓄積こそが個人の性格を作り出す。だからこそ、退屈に耐えられる度合いは個人差が激しい。常にサリエントな状況に置かれ、落ち着いた時間をほとんど過ごさずに生きてくることを余儀なくされた人(まるで私のことを指しているようだ!)は、自らが直面した諸々のサリエンシーに慣れることが困難だったろうから、何もすることがなくなるとすぐに苦しくなってしまう。…

 

 きっと私は「退屈」に対する耐性力が乏しい性格なのであろう。だから、孫Mの世話をする期間が終わったら、きっと「暇」の中で「退屈」してしまうのではないかという予感に襲われて、不安になってきたのだと思う。そのような性格の私は、これから「暇」の中で「退屈」してしまうという事態にどう向き合っていけばいいのだろうか。やっと、前回からの宿題をしなければならない必然性に迫られてきた。以下、私なりに考えたその回答内容のいくつかを記して、本書に関する10回連続記事シリーズの最終回を閉じたいと思う。

 

 著者による本書『暇と退屈の倫理学』の総括的な結論は、「<人間であること>を楽しむことで、<動物になること>を待ち構えることができるようになること」であった。このことを踏まえた上で、私なりのこれからの生き方や在り方を考えた時、次のような具体的な内容をイメージすることができた。

○ 「衣食住」という日常生活において、我が家の家計のレベルに合った贅沢をしたり、生活を豊かに彩るような創意工夫を凝らしたりする。

○ 私にとっての気晴らしとも趣味とも言える「読書をする」「ブログ記事を書く」「カラオケをする」「スポーツ(ウォーキングも含む)をする」という文化的・スポーツ的活動を、自分のパフォーマンスの質的レベルを上げるように実践しながら、より深く享受する。

○ 私自身が新型コロナウイルスのワクチンを接種した後、「哲学対話」や「読書会」等の社会的・文化的な交流活動を、感染予防策を徹底した上で定期的に開催するための事務局を立ち上げ、できるだけ早い時期に開設する。

私はこれらのイメージ内容を具現化するために、無理をせずにこれから行動を起こしていこうと思っている。さて、どうなるのだろうか。その過程及び結果については、機会を見つけて当ブログの記事で近況報告として綴っていくつもりである。

結論は「退屈」との共存の道?それとも「退屈」からの回避の道?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ⑨~

 早いもので、今年ももう4月に入った。「毎日が日曜日」状態になると、曜日感覚とともに年度感覚も薄れてくるものである。現職時代は「さあ、新年度だ。また、新たな気持ちで頑張ろう!」という意識が高まってきたが、現在のように平板な日々の連続の中では、新年度になったと言っても単に月替わりをした程度の意識しかもたなくなる。多くの男性は、定年退職後、毎日を均質的な時間で過ごすようになると、「暇」の中で「退屈」してしまうのではないだろうか。もちろん、男性もかつてはシャドー・ワークと言われた家事労働を担うのが当たり前の時代。その意味で完全なフリー状態になる人は少なく、またボランティア活動や趣味を楽しんでいる人も多くいるだろうから、私のように「暇」と「退屈」に翻弄されそうになることはないと思うが…。

 

    さて、私は今、二人目の孫Mの世話を中心にした慌ただしい生活を送っているが、その後の生活における実存的な問題として浮上してきたのは、ハイデッガーの退屈論の中で問われている「なんとなく退屈だ」という気分との闘いであり、社会的に有意義な仕事をしていないと人生を充実できないのではないかというロマン主義的な価値観の揺らぎへの対応なのである。この闘いや対応の方策を探るきっかけにしようと読み始めたのが本書であった訳だが、今回の記事は著者が<暇と退屈の倫理学>において提示した「結論」という章を取り上げる。さて、著者はどのような結論に至ったのだろうか。

 

 そこで今回は、本書に関する10回連続記事シリーズの第9回目として、本章の内容の概要をまとめるとともに、その結論に対する私なりの所感を付け加えてみたいと考えている。著者の結論内容は、私の実存的な問題への回答内容にどのような影響を与えてくれるのだろうか。

 

 著者が本章で提示した結論は三つあり、順番にそれらを説明している。私がその中でも特にハッとさせられたのは、一つ目に揚げた「こうしなければ、ああしなければ、と思い煩う必要がない」という結論の趣旨である。まず、その概要について説明してみよう。

 

 著者は、あなたが本書を読むことで、既に<暇と退屈の倫理学>の実践の第一歩を踏み出しており、その只中にあると言う。そして、その意味するところを、哲学者スピノザが使った「反省的認識」という概念を援用して説明している。「反省的認識」とは、人が何かが分かった時、自分にとって分かるとはどういうことかを理解すること、つまり認識が対象だけでなく、自分自身にも向かっている場合のことを指す。読者が本書を読み進めてきた中で、自分なりの本書との付き合い方を発見してきたことが何より大切で、論述の過程を著者と一緒に辿ることで主体が変化していく過程こそが重要なのだと強調している。したがって、以下に述べる二つの結論は、それに従えば「退屈」は何とかなるという類のものではなく、その方向へと向かう道を読者がそれぞれの仕方で切り開いていくものである。そうなのだ。一人一人が開いていく<暇と退屈の倫理学>があってこそはじめて、それぞれの結論内容は意味をもってくるのである。

 

 私は、この一つ目の結論の意味するところはとても大事な視点だと思う。それは、世間に流布されている短絡的な合理主義的考えでは、ともすると何か問題が起きればすぐに解決できるマニュアル的な結論を求めようとするが、そのような態度は生起した問題構制の本質的・抜本的な解決には至らず、一時凌ぎの表層的な解決にしかならないことが多いからである。それに対して、この一番目の結論は、「暇」と「退屈」というテーマの自分なりの受け止め方を涵養していく過程こそが、この実存的な問題構制の本質的・抜本的な解決に導いていくようになることを教えてくれている。私は、一度目は本書を通読し、二度目は精読していく過程で、自分の中でそれまで漠然ととらえていた「暇」や「退屈」という概念のとらえ方が変容していく感触を既に味わってきた。このことこそ私にとって意味があるのだと、改めて実感した。この一つ目の結論内容を知ることが、私自身の今までの生き方や在り方に対して希望を抱かせるものになった。

 

 次に、著者が二つ目に揚げた結論に話題を移そう。それは「贅沢を取り戻すこと」である。贅沢とは浪費することであり、浪費するとは必要以上に物を受け取ることであり、浪費こそは豊かさの条件である。ところが、現代の消費社会ではこの浪費が妨げられる反面、終わることのない観念消費のゲームを続けている。浪費は過剰な物の受け取りであるが、それはどこかで限界があるので、そこには満足がある。それに対して、消費は物ではなく観念を対象としているから、いつまでも終わりがなく満足もない。満足を求めて消費を繰り返せば満足はさらに遠のいていく。ここに「退屈」という気分が現れる。これを本書では「疎外」と呼んでいた。いかにしてこの「退屈=疎外」から逃れるか。この解決の道は観念を消費するのではなく、物を受け取るようになるしかなく、それは贅沢の道を開くことだと、著者は提案しているのである。

 

 しかし、そこにはいくつかの課題があるとも言う。ここで言う<物を受け取ること>とは、その物を楽しむことであり、例えば衣食住を楽しむこと、芸術や芸能や娯楽を楽しむことである。ただし、楽しむことは決して容易ではなく、楽しむための訓練が必要である。だから、生活の中で自然な形で訓練が行われれば、日常的な楽しみにはより深い享受の可能性があると、著者は強調している。したがって、「贅沢を取り戻すこと」とは、本書の論述に即して言えば退屈の第二形式の中の気晴らしを存分に享受すること、つまり<人間であること>を楽しむことなのである。

 

 最後に、三つ目に揚げた結論について概説しよう。それは「<動物になること>」である。前回の記事でも触れたが、人間は極めて高度な「環世界間移動能力」をもち、複数の「環世界」を移動する。だから、一つの「環世界」に留まり浸っていることができない。これが人間の「退屈」の根拠であった。しかし、人間はこの「環世界間移動能力」を著しく低下させる時があり、それは何かについて思考せざるを得なくなった時である。人は自らが生きる「環世界」に何かが不法侵入し、それが崩壊する時、その何かについての対応を迫られ、思考をし始める。この思考する際に、人は思考の対象によって<とりさらわれ>る。つまり、<動物になること>が起こっており、「なんとなく退屈だ」という声が鳴り響くことはない。ただし、人間にとって「環世界」の崩壊と再創造は日常的に起こっている事実があるから、私たちは実は日常的に<動物になること>を経験している。ということは、人は常に「なんとなく退屈だ」という声が鳴り響いている訳ではないのである。

 

 しかし、それでも私たちはしばしば「退屈」する。その理由は上述した通りである。だが、何かに<とりさらわれ>たとしても、すぐそこから離れてしまう。であるなら、どうすればよいのだろうか。より強い<とりさらわれ>の対象を受け取るようになるしかない。習慣化によって何かに<とりさらわれ>ることに迅速に対応できるようになるしかないのである。では、それはいかに可能なのだろうか。それは、退屈の第二形式を生きる人間らしい生活の中に見出すことができる。人間らしい生活とは、その中で「退屈」を時折感じつつも、物を享受し、楽しむような余裕がある生活である。その中では、思考を強制するものを受け取ることができる。この事態は、楽しむことは思考することにつながることを表わしている。なぜなら、それらはどちらも受け取ることだからである。人は楽しみを知っている時、思考に対して開かれている。人は楽しみ、楽しむことを学びながら、ものを考えることができるようになっていくのである。著者は、このように考えていくと、<動物になること>という三つ目の結論は、<人間であること>を楽しむという二つ目の結論をその前提としていることが分かると述べている。

 

 以上のことから、著者による本書『暇と退屈の倫理学』の総括的な結論は、「<人間であること>を楽しむことで、<動物になること>を待ち構えることができるようになること」であると締め括っている。今回は私の生活時間の都合によりこの総括的な結論を確認したところで筆を擱きたいと思う。なお、この著者の総括的な結論を受けて、私なりに今までの生き方や在り方を振り返りつつ、私を不意に襲った実存的な問題(「暇」の中で「退屈」してしまうという事態にどのように向き合うかという問い)に対する具体的な回答内容をまとめるという作業は、次回の記事に残しておきたい。

「退屈」の第二形式を生きる人間は、時に<動物になること>がある?~國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から学ぶ⑧~

 最近、私の腕の中で入眠する前の孫Mが、じっと私の眼を穴が開くほど見つめることがある。純真無垢な眼でじっと見つめられると、こちらの心まで浄化されていくような気がする。私にとってこの「まなざしの交換」は、聖的な儀式のようだ。何となく敬虔な気持ちになっていく。我が国では昔から「7歳までは神の子」という言葉が伝承されてきたが、まだ生まれて2か月も経っていないMは、“神”の領域に存在するのかもしれない。乳児の世話は、授乳やオムツ替え、寝かし付け、沐浴等、大変な労力を要するが、このような「まなざしの交換」の時間ももつことができることを、どれぐらいの男性は経験しているだろうか。実はかく言う私も自分の娘たちが乳児期に「まなざしの交換」をしたことはほとんどなく、偉そうに言える資格はない。しかし、遅ればせながら老年になり孫育てをさせてもらって、男性も育児をすることが自身の人間的成長を促すものだと実感したので、世の男性諸氏には、子育てでも孫育てでもいいのでぜひ経験してほしいと願っている。

 

 さて今回は、本書に関する10回連続記事シリーズの8回目になる。マルティン・ハイデッガーの退屈論を批判的に検討してきた著者が、ハイデッガーの結論とは違う結論に至ることを目的にして書いた「第7章 暇と退屈の倫理学-決断することは人間の証しか?」。そこで、私は本章の中で特に強い共感をもつことができた内容の概要を、前回までに取り上げた議論を踏まえながらまとめてみたいと思う。したがって、もし今回の記事を初めて読む読者がいるようだったら、大変申し訳ないが第1~7回までの記事にも目を通してくだされば理解しやすいと思うのでご協力のほどを…。では、始めよう。

 

 著者は、ハイデッガーの結論と提案を次の二項目に要約した上で、再度反論している。

① 人間は退屈し、人間だけが退屈する。それは自由であるのが人間だからである。

② 人間は決断によってこの自由の可能性を発揮することができる。

まず、①については、動物は「環世界」を生きるが人間は「環世界」を生きないという信念に基づいているが、この信念は間違っていると著者は反論する。人間も「環世界」を生きている。人間でも<もの自体>を認識することができないことは、当然の事実なのである。にもかかわらず、ハイデッガーは人間だけが自由であると言うために、このような無理をしているのである。この点については②の決断主義にも言える。だが、それだけではない。ハイデッガーは決断について語る時に「決断した後の人間のこと」という大事なことを忘れている。一体、決断した人間はどうなっていくのか。これが完全に抜け落ちていると指摘するのである。

 

 著者は、決断した人間のその後について次のように語っている。決断を下した者は、決断の内容に何としてでも従わねばならならない。そうでなければ決断ではない。したがって、決断した人間は、決断した内容の奴隷になる。別の側面から言えば、彼は決断によって「なんとなく退屈だ」の声から逃げることができるのである。だから、彼は今、快適である。やることは決まっていて、ただひたすらにそれを実行すればいいのだから。ところで、この決断後の彼の態度は、今までのハイデッガーの退屈論で議論した「退屈」の何番目かの形式に似てはいないだろうか。そう、第一の形式である。第一の形式において人間は日常の仕事の奴隷になっていた。なぜわざわざ奴隷になったのかと言えば、その方が快適だったからであり、「なんとなく退屈だ」という声を聴かなくて済むからであった。このことから、必然的に次のことが言える。そう、第三形式の退屈を経て決断した人間と、第一形式の退屈の中にある人間はそっくりなのである。ハイデッガーは、第一形式について、そこには甚大な自己喪失があると言っていた。だとするならば、第三形式についても同様なことを言わなければならない。決断する人間にも甚大な自己喪失がある、と。

 

 また、ハイデッガーは第二形式の退屈の中にいる人間は、付和雷同的で周囲に話を合わせるという否定的な有り様の姿を描いていた。しかし、第三形式=第一形式に比べるにならば、そこでの人間の生は穏やかである。もちろん第二形式においては何かが心の底から楽しいわけではなく、ぼんやりと退屈はしている。多少の「自己喪失」はあるかもしれない。でも、第二形式では自分に向き合う余裕がある。そう考えれば、この第二形式こそは、「退屈」と切り離せない生を生きる人間の姿そのものではないのか。気晴らしと「退屈」とが絡み合った生活を送ることこそが、人間の「正気」ではないのか、著者はそう反論するのである。

 

 さらに、著者は第二形式の退屈を生きる人間の姿に対するハイデッガーの否定的な評価を不当だと重ねて批判する。そして、その理由を、退屈の第二形式において描かれた気晴らしとは人間が人間として生きることのつらさをやり過ごすために開発してきた知恵と考えられるからだと述べる。そう、「退屈」と向き合うことを余儀なくされた人類は文化や文明と呼ばれるものを発達させてきた。そうして、芸術が生まれ、衣食住を工夫して、生を飾るようになった。人間は知恵を絞りながら、人々の心を豊かにする営みを考案してきたのである。これらはどれも存在しなくても、人間は生きていけるような類の営みである。ある意味で贅沢なものなのである。なぜハイデッガーは、この人類の知恵を受け入れないのか。著者は、その理由をハイデッガーの特殊な人間観がそれを邪魔していたと考える他ないと、断言している。

 

 私が強い共感をもった内容の一つ目が長くなった。取り急いで、話題を二つ目の内容に移そう。それは、以上の議論を踏まえた上での、全く別の視点から人間と動物の区別の問題について言及している内容で、第二形式の退屈を生きる人間の生が崩れることがあることについて。例えば、芸術作品とか新しい考えとかと出合った際にある種の衝撃を受け、自己の「環世界」を破壊された人間が、そこから新たな思考を始めるような時のことである。その人の「環世界」に不法侵入してきた何らかの対象が、その人を掴み、放さない時、その人はその対象に<とりさらわれ>、その対象について思考することしかできなくなる。その時、人はその対象によってもたらさせた新しい「環世界」の中に浸るしか他なくなる。このように衝撃によって<とりさらわれ>て、一つの「環世界」に浸っていることが得意なのが動物であるなら、この状態を<動物になること>と称することができる。人間は時に<動物になること>がある。「退屈」することを強く運命付けられていた人間の生において、ここに人間らしさから逃れる可能性も残されているのであり、それが<動物になること>という可能性なのである。

 

 著者は、人間にとって<動物になること>が可能であることの根拠はおそらく人間の極めて高度な「環世界間移動能力」の高さにあると言っている。人間は自らの「環世界」を破壊しにやってくるものを、容易に受け止ることができる。自らの「環世界」へと不法侵入を働く何かを受け取り、考え、そして新しい「環世界」を創造することができるのである。このことが、他の人々にも大きな影響を与えるような営みになることもしばしばあるが、おおむね人間は人間的な生を生きざるを得ない。しかし、人間にはまだ人間的な生から抜け出す可能性、つまり<動物になること>の可能性がある。もちろん人間は後に再び人間的な生へと戻っていかざるを得ないが、ここにこそ人間的自由の本質があるのだとしたら、それはささやかではあるが確かな希望であると、著者は力強く主張している。

 

 この<動物になること>とは、ある対象に<とりさらわれ>て、その対象について思考することしかできなくなり、一つの「環世界」に浸っている状態なのだから、「退屈」のない、あるいは「退屈」をしないで生きる姿だと私は理解したが、このことと「退屈」の第三形式=第一形式とはどのような関係にあるのかが今一つよく分からなかった。どなたか本書を読んだ方で私にご教示できる方は、ぜひ「コメントを書く」欄にその内容を記して教えてください。

 

 最後は、読者へのお願いごとを書いてしまったが、これは私がブログも「双方向的な」機能を持つSNSの一種ととらえていることによる無謀な仕儀である故、平に平にご容赦の上ご協力のほどをお願い申し上げまする。(この文章末および文末表現は、一体誰のマネなの?…)