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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

山間部の中学校に勤務していた頃の苦い経験を振り返る!~池永陽著『青い島の教室』をきっかけにして~

 当ブログの以前の記事(2020.7.28/2021.5.16付け)で取り上げた『コンビニ・ララバイ』や『珈琲屋の人々』シリーズの著者である池永陽氏の『青い島の教室』という作品を読んだ。都内の中学校で体罰問題を起こし、伊豆諸島の離れ小島に飛ばされた国語教師・柏木真介は、教育に対するやる気を失って適当な教師生活を送り、生徒たちから「ぐうたら先生」というあだ名をつけられていた。しかし、勤務校において虐めや学級崩壊、モンスターペアレントなどの問題が起きる中、ある夏休みに思いもよらない事態が起きる。…荒れた学校現場を描いた小説を読んでいると、私は現職中に遭遇した苦い経験をついつい思い出してしまった。

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 そこで今回は、その苦い経験について、思い出すままに取りとめもなく振り返りつつ、現時点で自分なりに反省することを綴ってみたい。恥を忍ぶような記事になりそうだが、誰かの参考になれば…という思いである。

 

 私は教職26年目に、初めて小学校から中学校に異動になった経験がある。町内の4つの中学校を統合して4年目を迎えた、山間部にあるまだ新しい木造校舎の中学校だったが、廊下の壁には生徒の鉄拳で何か所か穴が空いているような教育困難校であった。当時、私は教頭職だったので、学校運営の中核を担いながら、中学3年生の3クラスの社会科(公民的分野)の授業も担当することになった。初めて中学校の教壇に立った時に、武者震いをするぐらい緊張したことを今でも覚えている。3月までは同町内の小規模僻地校で昇任教頭として、可愛い小学1・2年生の複式学級の担任を兼務して楽しく過ごしていた。ところが、4月になると荒れた中学3年生を対象にして授業をすることになるとは、まさに「晴天の霹靂」といっても過言ではない状況だったのである。

 

 当時の教育実践論文「思春期の子どもにかかわる<他者>としての教師のあり方を探る~中学校現場における学習指導や生徒指導のあり方に関する考察を通して~」は、当ブログの以前の記事で3回(2019.8.1/同年8.5/同年8.7付け)に分けて掲載したので、既に目を通された読者の方もいるかもしれない。形式は論文風であるが、内容は実践報告レベルのものだったけれど、自分なりに当時の教師や生徒の実態やその関係性等をなるべく客観的にとらえようと四苦八苦しながら書き上げたことを覚えている。当論文を読んでもらえば、その中で私の苦い経験の内容はおおよそ察しがつくと思うが、具体的な中身は分からないであろう。だから、今回は少し具体的な経験話を綴ってみようと思っている。

 

 初めて中学3年のあるクラスで社会科の授業をした時のことである。私が教室へ足を踏み入れて室内を見回すと、ほとんどの生徒たちはどんよりと曇った眼差しを私の方へ一斉に向けていた。よく見ると、廊下側の一番前に座っている一人の男子生徒は、上半身を机に突っ伏して寝ているような状態。反対の窓側に座っている一人の女子生徒は、足を組んで化粧直しをしているような態度、後ろの方の席に座っている男子生徒は、反り繰り返った傲慢な姿勢、等々。その荒廃的で沈鬱な雰囲気は、つい先日まで経験していた小学1・2年の複式学級の明朗な雰囲気とは雲泥の差!その情況をとらえた瞬間、心身共に萎れそうになった私だったが、努めて明るい表情を装って教卓の前まで進み、「皆さん、おはようございます」と爽やかな声で挨拶をした。しかし、半数ほどの生徒たちの「おはよーっす」という無気力な声が返ってきただけで、30名近くの生徒たちの反応は薄かった。

 

 それでも、私は気分を取り直して、簡単な自己紹介をした後、出席簿を手に取り生徒一人一人の名前を呼んだ。この際の返事も生気がない声が多かったが、はっきりと「はい」と返事した生徒も少なからずいたので、私は少し安心した。そして、これからの社会科の授業の進め方について丁寧に説明したり、授業ノートやテストの訂正ノートの書き方等について具体的に指導したりして、初めての長い長い授業が終わった。小学校で授業していた時に45分間を長いと思ったことはほとんどなかった。確かに中学校の授業時間は50分間だから物理的には長いのだが、その時に私が感じた長さは心理的に強いストレスを抱えたままだったので、それ以上の長さを感じた。「この先が思いやられるな。…」職員室に戻る私の足取りは重かった。

 

 私は無気力な生徒たちを少しでも授業に主体的に取り組ませたいと願っていたが、何分にも中学校社会科の授業をするのは初めてだったので、最初はオーソドックスな課題解決的な授業を実践していた。しかし、教科書の本文を正確に読み取ることも覚束ず、資料活用能力も不十分な生徒たちには少し難しい学習方法であり、主体的に取り組む学習活動を保障することにはならないとしばらくして悟った。そこで、私は参考になりそうな中学校・公民分野の教材研究や授業づくりの書籍を数冊買い込んで自主研修し、様々に工夫した学習活動を採り入れた授業実践を試みた。例えば、身近に起こった社会的事象から醸成させた問題意識に基づいて設定した問題解決的な学習活動、社会的な意味を深く考えさせるために行ったディベート的な学習活動、基礎的基本的な学習事項を習得させるために小グループで行ったテスト問題作成型の学習活動、等々。

 

 すると、生徒たちは今までに経験したことがない様々な学習活動に最初は興味をもって取り組むのだが、その社会的事象の本質的な意味について考えを深める段階になると急に興味を失ってしまい、最後はその意味理解に十分に至らないままで学習が終わってしまうことになった。結果的に、生徒たちの知識・理解面での学力を高めることにはならなかった。高校受験を控えて焦り出す生徒に対して有効な手立てを講ずる必要性を感じた私は、最終的には各単元の重要事項を問う穴開きプリントを使用した個別的な学習活動を導入することにしたのである。若い頃から子どもたちの社会的な自己実現を目指すような授業を目指して実践的な教育研究を積み重ねてきた私にとって、ある種の敗北感を味わった苦い経験であった。

 

 今、改めてこの苦い経験を振り返ってみても、当時の悔しい思いが蘇ってくる。それは、教師としての力量不足を否応なく実感した経験だった。では、何がいけなかったのか。それは、まず「学び」から逃走しているような生徒たちの実態を目の当たりにして、教頭という立場で彼らとどのような関係性を築いていったらよいか戸惑ってしまったこと。そのために、思春期の子どもたちに対してついつい迎合的な接し方をしてしまい、必要な場面で教師として信念をもって毅然とした態度が取れなかったこと。また、公民的分野の教材や指導法に関する研究等が不十分だったために、生徒たちに魅力ある教材を提供したり、一貫した学習方法を通したりすることができず、その時その場における目先の興味や関心を優先してしまったこと。そして、何よりも無気力に陥っている生徒たちの生活上の背景や原因等について深く省察することを怠ったことである。

 

 これらの反省内容は、教育活動や授業実践において当然求められる基本的な事柄であるが、当時の私は教員としての見栄を張ろうとする気持ちを優先させていたのではなかったか。それまで小学校教師としての自分の力量に対して自信をもっていた私は、中学校へ転勤して教育困難な事態への適切な対応を迫られたことで、それが自分の慢心になっていたことを悟ることになった。私にとって、教師としてだけでなく一人の人間としての新たな目標や理想とすべき姿を見出すことに繋がった点で、この苦い経験は有難いものであったと今だから言える。人生は常に試行錯誤や失敗の連続的過程であり、その成果は結果的に後から付いてくるものなのだ。つくづくそう思う。

グレーゾーンにこそ<生きること=学ぶこと>の醍醐味がある!~千葉雅也著『現代思想入門』の「はじめに 今なぜ現代思想か」に共感して~

 最近、私のTwitterのタイムラインで評判になっている『現代思想入門』(千葉雅也著)を読んでみた。今、再度読み直しているのだが、改めて「はじめに 今なぜ現代思想か」の内容が私の心に深く沁み込んでくる。というのは、今から約30~40年前に私が地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務していた頃に、二人の先輩(10歳上と20歳上)教師から、戦後に流行した「実存主義」の哲学や1960年代にフランスで大ブームとなった「構造主義」、さらに構造的な二項対立の脱構築を図る「ポスト構造主義」等の考え方を取り入れた教育論について学んだ経験を想い起したからである。

 

 当時、どのような教育をすれば子どもの自己実現を図ることができるかという問題意識で実践研究に取り組んでいた20代~30代の私は、先輩たちが展開する哲学的・現代思想的な視座に立った教育論を傍で聴くだけの存在であったが、教育という営みをそのような視座からとらえる発想に驚嘆するとともに、二人の教師としての在り方に憧憬の念を抱いた。しかし、浅学菲才な私は「実存主義」や「構造主義」に関連する本を少しずつ読んで何とか理解するのがやっとで、「ポスト構造主義」を標榜するジャック・デリダやジル・ドゥル-ズ、ミッシェル・フーコーなどの著書や解説書にまで手を出す余裕がなかった。その代わりというのも変だが、その後に教育実践の在り方を問い直す上で有意義だと認識したフッサールの「現象学」に対する関心を深めて、その理論を分かりやすく解説していた竹田青嗣氏や西研氏らの著書を読んで学ぶ方向へ傾斜していった。その結果、「ポスト構造主義」や「ポスト・ポスト構造主義」に関しては、間接的に触れる程度で直接的に学ぼうとすることから逃げてきたのである。

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 現職を退いて約7年の月日が過ぎた今、もう学ぶ必要もなかろうと思っていたが、今回、ちょっとした興味から本書を手にして「ポスト構造主義」や「ポスト・ポスト構造主義」の思想のエッセンスも学ぶ機会を得ることができ、私は久し振りに大きな知的刺激を受けて少し若返ったような気分になった。特に「はじめに 今なぜ現代思想か」に書かれていた著者の現状認識とそれに対する問題意識に強く共感することができたことは、私のような高齢者にとっても本書を読む意義があったと嬉しく思った。

 

 そこで今回は、本書の「はじめに 今なぜ現代思想か」の内容で特に私が強く共感したことをまとめるとともに、それに関連して今から約30~40年前当時に先輩教師から学んだことや自分なりに考えていたことを想起しながら綴ってみたいと思う。

 

 著者は、今なぜ現代思想なのかという理由として、おおよそ次のように説明している。

…現代は社会全体が秩序化、クリーン化という方向へと改革が進んでいて、それによって生活がより窮屈になったり、自分たちを傷つけたりすることになっている。それに対して、現代思想というのは、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する思想であり、それが今、社会や人生の多様性を守るために必要である。人間は歴史的に、社会および自分自身を秩序化し、ノイズを排除して、純粋で正しいものを目指していくという道を歩んできたが、このことで誰も傷つかず、安心・安全に暮らせるというのが本当にユートピアなのだろうか。犯罪の防止は必要だとしても、それは過剰な管理社会が広がることになるのではないだろうか。我々はこれらの現状に対して警戒しなくてはならないし、その点に関わっている思想こそ人が自由に生きることの困難について語っている現代思想ではないだろうか。…

 

   ここで言われる「現代思想」とは、1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」(構造主義の後に続く思想のこと)の哲学を指している。では、そもそも「構造主義」とはどのような考え方か。著者は、「構造」とはおおよそ「パターン」と同じ意味だと示し、「構造主義」とは「具体的には異なっていても、別の作品やジャンルで、抽象的に同じパターンが繰り返されているという見方」であると大胆に説明していて、私はこの力技の解釈ができる著者の哲学的な力量に正直、脱帽した。それに対して、「ポスト構造主義」とは「パターンの変化やパターンのから外れたるもの、逸脱を問題にし、ダイナミックに変化していく世界を論じようとした学問の方法論」であると、著者は実に分かりやすく定義付けてくれている。

 

 また、この「ポスト構造主義」の代表的三人、デリダドゥルーズフーコーの共通項を、「二項対立の脱構築」(物事を「二項対立」、つまり「二つの概念の対立」によって捉えて、良し悪しを言おうとするのをいったん留保すること)ととらえている。「二項対立」はある価値観を背景にすることで、一方がプラスで他方がマイナスになるものなのだが、そもそも「二項対立」のどちらがプラスなのか、絶対的には決定できないものだと、「ポスト構造主義」は考えるからである。この「二項対立」のプラス/マイナスは、非常に厄介な線引きの問題を伴うのである。その線引きの揺らぎに注目していくのが「脱構築」の思考なのである。

 

 さらに、著者は人間の生き方における能動性と受動性という「二項対立」においても、どちらがプラスでどちらがマイナスかということを単純に決定できないと示し、「能動性と受動性が違いに押し合いしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。」と語っている。私はこの言葉を目にして、今から37年前に附属小学校の研究大会の全体会で発表した時のことを想い起したのである。

 

 私が全体会で発表したテーマは「一人ひとりの動きを高め合う体育学習―「基本の運動」を中心に―」で、それまでの体育科授業の在り方は教師の一方向的な指導を中心にした「教師指導型」であるから、教師と児童との相互作用過程を大切にした「中空構造型」へと構造を転換することが大切であると提案した。その際のOHPシートに描いた図は、左側に秩序や意識、勉強等を重視する「教師指導型」の円を、右側に混沌や無意識、遊び等を重視する「児童放任型」の円を描き、その2つの円が重なり合う部分、つまりグレーゾーンに「中空構造型」の体育科授業を位置付けたものであった。今から考えると、この図こそ二人の先輩教師から学んだ「ポスト構造主義」の考え方を生かした、つまり「二項対立」図式から何とか「脱構築」しようと苦心して描いた図だったのである。

 

 私は当時、「ポスト構造主義」の考え方をきちんと学ぶことをしなかったが、体育科の授業の在り方をもっと教師と児童、児童相互の豊かなコミュニケーションに支えられた学びの構造に転換したかった。それは、人生のリアリティは人格的に対等な自他の相互作用の過程にあるのだから、授業も教師と児童、児童相互が人格的に対等な存在として相互作用する過程を保障すべきだと考えたからであった。つまり、<生きること>と<学ぶこと>は決して分離されるものでなく、<生きること=学ぶこと>という考え方で授業の構造を再構築したかったのである。今、改めて振り返ると、私の当時のこのような考え方は、「二項対立の脱構築」を目指した「ポスト構造主義」的な授業観だったのだと再認識したのである。

 

 本書の「はじめに 今なぜ現代思想か」を読み返しながら、私は研究大会の全体会で研究発表した当時の懐かしさとともに、自分なりの考えが間違っていなかったことに多少なりの誇りを感じることができた。

 

 そうなのだ、「グレーゾーンにこそ<生きること=学ぶこと>の醍醐味がある!」

脱原発を志向する哲学とは?②~國分功一郎著『原子力時代における哲学』から学ぶ~

 前回は、私の原子力に対する認識の再構成を図るきっかけにすべく読み始めた『原子力時代における哲学』(國分功一郎著)の本編前半の概要についてまとめた。まず、核兵器に対する絶対的な拒否の半面、「原子力の平和利用」という原発については大勢が受け入れようとしていた20世紀半ば、原子力そのものに対して根本的な批判をしていた唯一の思想家・哲学者は、マルティン・ハイデッガーであった。その彼の技術(テクネー)についての独自の考え方、つまり「技術とは自然が持っている力を外に導き出すことだ」という考え方について簡単に紹介した。しかし、「現代技術である原子力の技術は、その技術論とは相反して自然を挑発するものである」と彼は批判したのである。

 

 そこで今回は、ハイデッガーが自ら著した『放下』において原子力技術に関してどのように語っているかを読み解いた第3講と、著者がハイデッガーの言説だけでなく、精神分析の知見も織り交ぜて「原子力時代における哲学」を語った第4講、つまり本編の後半部の概要についてまとめてみたいと思う。

 

 第3講<『放下』を読む>において、著者はまず「放下」という講演から抜粋した内容の一部を紹介しながら、ハイデッガー原子力技術に対する考え方を指摘している。簡潔に述べれば、核エネルギー使用の根拠を考えるのが省察する熟慮のはずなのに、そういうことを考えないまま科学は事を進めてしまうと強い危機感を抱いていたハイデッガーは、科学技術との関わりにおいて、我々は「放下」という態度を取ることが大切であると考えたのである。

 

    ここで使われている「放下」というのは、「技術そのものはいいけれど、技術が我々を独占するようになってきたら、それに対してノーという態度」のことであり、「隠された意味に向けて我々が自分たちを開け放つ態度」のことでもある。ハイデッガーは、「このような態度によってこそ、技術について隠されている秘密=謎を我々に告げてくれる」と語っている。そして、技術について隠されている秘密=謎が分かれば、何を思考するための地盤にすればよいかが分かってきて「来たるべき土着性」(極めて身近にあるが、具体的には示されていない!)を持つことができると、その展望を見通しているのである。

 

 次に、著者は科学者・学者・教師という三人の登場人物が思惟について会話を展開する「放下の所在証明に向けて」(「アンキバシエー」と題された長い対話篇の末尾部分)について読み解いていく。この中で、教師が「思惟するためには端的に意志の外部に留まっているような無-意欲」という状態、言い換えれば「放下」という状態にならなければいけないと言い、それに対して科学者が「放下は能動性と受動性の区別の外部に横たわっている」と語り、学者が「放下はそもそも意志の領域の内には属していない」と話す場面を紹介する。そして、この場面で重要なことは、「これを考えるぞ!」という態度で何かを考えるのではなくて、何か発信されてくるものを受け取ることができるような状態をつくり出すことが思惟であり「放下」であると、ハイデッガーが語っていると著者は解釈している。

 

 ハイデッガーが『放下』というテキストで原子力という問題に対して出した答えは、新しい核エネルギーの使用の根拠について「考える」ことが大切であるという単純なものであった。しかし、彼は「では皆さん、一緒に考えましょう!」と言っても人は何も考えないことを知っていた。だから、彼は「考えるとは何か」、つまり思惟の本質とは何かを巡る会話そのものを、考える過程として書き記すことを試みた。したがって、『放下』において重要なのは、言っていることとやっていること、つまり内容と形式とが一致していることなのである。

 

 第4講の〈原子力信仰とナルシシズム〉についても触れておこう。ここでは、脱原発を志向する哲学の問題として、「なぜ人々は原子力をこれほどまでに使いたいと願ってきたのか」を追究することがポイントである。著者は『日本の大転換』という著書を著した中沢新一氏の言説を参考にして、「原子力技術は、生態圏の外部である太陽圏で起きる核融合反応を媒介なしで内部に取り込もうとする、言い換えれば外部からの贈与に依存しない完全に自立したシステムを作り出そうとする希求が根底にある」ととらえており、このことが原子力信仰の内実ではないかと鋭く指摘している。そして、原子力信仰の根幹にあるのは「贈与を受けない生」への欲望であり、それは人間の二次ナルシズムの問題と結びついているのではないかという精神分析の知見を適用してとらえようと著者はしている。

 

 最後に著者が示した「人類が原子力への欲望、贈与なき生への欲望というナルシシズムを乗り越えていくことで、初めて最終的な脱原発が達成されるだろう」という一応の結論は、私にとってはあまりにあっけないものであった。原子力技術がもたらす「贈与を受けない生」への憧れを、私たち人類は本当になくしていくことはできるのだろうか。一人一人の人間が自分の人生の中でそれなりにナルシシズムを乗り越えていくように、人類もナルシシズムをそれなりに乗り越えていくことができるという著者の見通しは希望的な展望であり、その実現は困難なように私には思われる。でも、私の今までの原子力に対する認識を再構成するきっかけにはなった。今からでは遅すぎるかもしれないが、これから私なりの「原子力時代における哲学」を作り上げていきたいと考えている。

脱原発を志向する哲学とは?①~國分功一郎著『原子力時代における哲学』から学ぶ~

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって約3週間が過ぎた。ウクライナ軍の思わぬ抗戦に遭って戦争が長期化してきたために、プーチン大統領は当初の思惑とは違った展開になり焦っているのではないか。国際的な非難はもとより、膨大な軍事費や国内経済の疲弊等による打撃、そして何よりも国内の徹底した情報統制に綻びが見え始め、国民世論の戦争反対への傾斜という事態の推移が、その焦りの要因になっているのではないかと思われる。そのような中、プーチン大統領ウクライナの降伏を早めるために、化学・生物兵器のみならず核兵器も使用するのではないかとの憶測が流れ、もしかしたら現実化するのではないかという国際的な不安が起こっている。

 

 旧ソ連が崩壊して東西陣営による冷戦が終結した後、核兵器を使用した戦争は人類の滅亡につながるという共通認識で国際社会が合意していたが、その平和的なグローバル構造は今回のプーチン大統領による蛮行によって崩壊しかねない事態を迎えている。また、前回の当ブログの記事でも少し触れたが、ロシアは放射能汚染という大惨事が起きるかもしれないのに、ウクライナの電力供給の要である南部ザポロジェ原発を攻撃して制圧している。プーチン大統領は、先の大戦末期の1945年に広島や長崎に投下された原爆や、2011年に東日本大震災による大津波によって起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故による被害情況について、正しく認識しているのだろうか。また、国際平和を謳っている国際連盟安全保障理事会常任理事国であるという自国の責任ある立場について、どのように考えているのだろうか。

 

 私は今回のプーチン大統領原子力に対する無見識ぶりを知るに至り、自分自身の原子力に対する認識を問い直してみた。すると、「日本の核兵器の開発や保有については反対だが、アメリカの核兵器の傘に下での日本の安全保障体制は容認。原発には理念的に反対だが、他のエネルギーによる発電よりは低コストであり効率的な核の平和利用なのだから現実的に賛成」という認識であることを自覚しなければならなかった。でも、そのような原子力に対する認識でよいのだろうか。私は自分の認識を再構成するきっかけにしようと、しばらく積読状態にしていた『原子力時代における哲学』(國分功一郎著)を読むことにした。

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 そこで今回と次回において、著者が本書の中で主張したかった内容(特に本編の前半と後半に分けた内容)の概要をなるべく簡潔にまとめ、最後に本編の内容に対して私なりの所感を付け加えてみようと考えている。本書は、著者が2013年7月から8月にかけて行った全4回の連続講演「原子力時代における哲学」の口述筆記に大幅な加筆修正を施した内容を本編とし、2018年9月15日に行われた「ハイデガー・フォーラム」第13回大会において口頭発表された論考を巻末付録として位置付けた構成になっているが、巻末付録の内容は本編と重複する内容もあることから当ブログの記事ではあえて触れないことにしたい。

 

 まず、本編の導入になっている第1講の<1950年代の思想>では、特に1950年代に注目して当時の思想家・哲学者が核兵器や「核の平和利用」を謳った原子力発電に対していかなる議論を展開したかについて紹介している。一人目はギュンター・アンダーソンを取り上げ、彼が核兵器の問題を哲学的に論じて批判した点について著者は評価しつつも、原子力発電の問題を考察の対象にしなかったことに疑義を感じている。また、二人目に取り上げたハンナ・アレントに関しては、原発について哲学的に考察していた点を評価しつつも、それを技術における疎外という一般的な図式で論じていた問題点を指摘している。しかしながら、核兵器が絶対的に否定される中で、「原子力の平和利用」が大勢に受け入れられていた20世紀半ばに、原子力そのものに根本的な批判をしていた例外的な思想家・哲学者がいた。それこそが、マルティン・ハイデッガーであると著者は言っている。

 

 次に、第2講の<ハイデッガーの技術論>では、原子力技術にまで敷衍されるハイデッガーの技術に対する独自な考え方、つまり、「技術とは自然がもっている力を外に導いていくことなのだ」という考え方について具体的に論じている。また、この技術(テクネー)の本質を探るためにソクラテス以前の自然哲学にまで視野を広げつつ詳細に論じていて、私はハイデッガー流の技術論の核心的な内容をおおむね理解することができた。ところが、ハイデッガー原子力に関する現代技術は、このテクネーの本質から根本的にずれてしまい自然を挑発してしまっている点に問題があると鋭く批判するのである。

 

 さらに、第3講の<『放下』を読む>では、ハイデッガーが生前に刊行した例外的な書物の一つ『放下』というテキストを使って、彼が原子力に対してどのように語っているかを検討しながら読み進めている。特にその中で、『放下』の中に位置づけている対話篇「放下の所在究明に向かって」を詳細に解読している。第4講の<原子力信仰とナルシシズム>では、ハイデッガーの言説だけでなく、現代哲学の一つの領野である精神分析の知見も織り交ぜて「原子力における哲学」を追究している。これら本編の後半部分の内容に関しては、未読の部分があるのでしばらく時間を置いて、次回の記事でもう少し詳しく触れてみたいと思う。

「解離性障害」って何?~柚月裕子著『ウツボカズラの甘い息』を読んで~

 ロシアによるウクライナへの武力侵攻が激化し、3月4日には稼働していたウクライナ南部にある欧州最大級のサポロジェ原発を砲撃し、制圧した。稼働原発への軍事攻撃は史上初であり、もし誤って稼働している原子炉を砲撃していたら1986年のチェルノブイリ原発事故を上回る大惨事になりかねない蛮行である。ロシア側としては、電力という重要なインフラを手中に収めることでウクライナへの圧力を強めることが狙いであろうが、その軍事作戦はあまりにも無謀なものであり、人類の平和と安寧への願いを無視するものである。私は、改めて「原子力の平和利用」と言われる原発の安全性に対する国際的な保障体制を見直す必要性を痛感した。

 

 原発事故と言えば、今から11年前の3月11日に発生した東日本大震災に伴って発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故のことを思い出す。大津波の被害によって全電源喪失という事態に陥り、原子炉を冷却することができなくなってメルトダウンを起こしたのである。この原発事故に関連して今でも約3,800人が避難生活を余儀なくされており、来春に予定されている帰還困難地区の一部における避難指示解除によって、どれだけの住民の帰還が進むかはまだ見えていない。また、原発事故の処理水海洋放出も予定されている中、それによる風評被害の払拭等の復興への課題は今も残されている。それほど、原発事故は多くの人々の尊い生命と財産、そして平穏な日常生活を奪い去ってしまうものなのである。

 

 この東日本大震災の政府主催の追悼式は、10年の節目だった昨年で最後になり、11年目を迎えた今年は式典を開かない被災自治体も増え、追悼の形に変化が出ているという。しかし、私たち日本人はこの大惨事を風化してはならない。マスメディアもその現状を憂い、ここ数日、関連番組を制作して報道している。その中でテレビでは時に津波の映像が流されることがあるが、その前には「この後、津波の映像が流れます」という主旨のテロップが出る。これはおそらくPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックを起こしてしまう人々への配慮なのであろう。耐え難い精神的苦痛を体験した時の記憶を、その後も何らかのきっかけで再生してしまい、その度に精神的に動揺し不調に陥る症状を起こしてしまう人がいるのである。中には、それが高じて「解離性障害」を発症してしまう人もいる。

 

 ところで、私は上記のような出来事について考える中で原発事故や原子力についてもっと知る必要があると思い、昨日から『原子力時代における哲学』(國分功一郎著)を少しずつ読み始めた。まだ数ページしか読み進めていないし、明日からはフルタイムの仕事をしながらの読書になるので、読了するまでに数週間掛かるのではないかと思うが、読後の所感を必ず当ブログの記事にしたいと考えている。乞うご期待!

 

 その代わりと言っては何だが、今回はこの1週間ほど寝床の読書の対象だった『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子著)という犯罪小説を取り上げたいと思う。「また柚月作品かよ!」と突っ込まれそうだが、先ほど触れたPTSD(心的外傷後ストレス障害)によるフラッシュバックと関連している「解離性障害」が本作品のキー・コンセプトになっているのでぜひ紹介したいのである。もちろんネタバレにはならないように気を付けて…。

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 本作品のプロローグには、精神的疾患をもつ患者と医師との診察場面が描写されている。患者の愁訴は自分を脅かしたり嫌な気分にさせたりするものを思い出してときどき頭がぼうっとすることであり、その居心地の悪い状態から脱して心が落ち着く方法を医師が教示している様子である。そして、医師は患者に安定剤と睡眠剤を処方している。患者は2週間ごとに診察に訪れているらしいことも分かる。

 

 この患者が、本作品の主たる登場人物の高村文絵という主婦。日々、家事と育児に追われている文絵がある日、中学時代の同級生、加奈子に再会する。彼女から化粧品販売ビジネスに誘われて、平凡な主婦にしては月50万円という高額の報酬を得て生き甲斐を感じ始めていた矢先に、鎌倉のある別荘で殺人事件が起きる。そして、文絵はその事件に絡めとられていくのである。この辺りの文絵の揺れ動く心理描写を中心とした前半のストーリー展開に、私はついつい自然に引き込まれていった。

 

 ところが、この殺人事件を捜査する中年の男性刑事と若い女性刑事の二人が登場してからのストーリーは、あっと驚くような意外性に満ちた展開を見せる。私の心はさらにぐいぐいと引き込まれていく。しかし、これから後の展開は本作品の一番面白い部分なので、そこにはなるべく触れないようにしたいが、私が強く興味を惹かれた「解離性障害」という精神疾患については少し触れたい。

 

 「解離性障害」については、以前(今年2月26日付け)の記事でも「子ども虐待」におけるトラウマと関連させて若干触れたので既読の読者はおおよそ分かっているとは思うが、初めて今回の記事に目を通している方のために念のために説明しておこう。「解離性障害」とは、脳に器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れ、記憶や体験がバラバラになる解離という症状が出る精神疾患のことである。

 

 この「解離」という心の働きは、大きな苦痛を伴う体験をした時、心のサーキットブレーカーが落ちてしまうかのように、意識を体から切り離す安全装置が働くことが元々の基盤になっている。人はもともと弱い生き物であり、肉食獣に噛まれ、捕食されそうになった時、噛まれた苦痛でパニックになっていては逃げられる可能性は低くなる。だから、このような危機的瞬間に対処できるように、苦痛の回路を遮断してしまう安全装置が備わっていたという。さらに、いよいよ逃げられなくなった時には、苦痛を遮断して楽に死ねるように安全装置が働くのである。つまり、意識を体から切り離してしまえば、苦痛を感じなくて済むのである。しかし、実はこの「解離」は人間だけの現象ではないらしい。狸がショックを受けた時に仮死状態になる、いわゆる「狸寝入り」も「解離」の一種という。

 

 本作品における殺人事件を解決する際のキー・コンセプトは、この「解離性障害」だと思う。では、それがどのように事件解決の繋がるのだろうか。それらについては、本作品を読んで確かめたり、見つけたりしてほしい。柚木裕子という作家は社会派ミステリーの名手だと実感させる作品にまた出合い、最近、重苦しく暗い気分に陥っていた私の心を少し明るく照らしてもらったような気分になった。柚月作品は、私にとって精神安定剤のような効用があるのかもしれない。有難いことである。

ネットなどの二次的情報の後追いへの偏重に気を付けて!~養老孟司著『子どもが心配―人として大事な三つの力―』から学ぶ~

 長年愛用している腕時計の電池が切れて針が動かなくなったので、近くのイオンモールに入っている時計店へ持って行った。電池を入れ替えてもらっている間に、階上のフロアに入っている書店で新刊の本を物色していたら、気になる新書を見つけた。東京大学名誉教授で400万部を越えるベストセラーになった『バカの壁』の著者である養老孟司氏と、日常子どもたちに接している4人の碩学の対談を書籍化した『子どもが心配―人として大事な三つの力―』である。サブタイトルの三つの力というのは、一つ目が対談者の立命館大学教授で児童精神科医である宮口幸治氏が重視している「認知機能」、二つ目が慶應義塾大学小児科の医師で主任教授である高橋孝雄氏と日立製作所名誉フェローの小泉英明氏が共に強調している「共感する力」、そして三つ目が自由学園長の高橋和也氏が自園の教育で目指している「自分の頭で考える人になる」ことを指しているらしい。私は購入することを即断した。

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 本書の「まえがき」によると、著者の養老氏は30年以上、鎌倉市の保育園の理事長を務めてきて、子どもたちのことを考える機会に恵まれてきたそうである。そして、80代半ばになり、いまさらながら子どものことが心配になり、いろいろな方に話を伺いたいと考えていたところ、PHP新書編集部がそれを企画して上記の4名の方々と対談することになったという。本書は対談形式になっているので、各人の考え方の基本が明快かつ平易な言葉で語られているから、とても読みやすい。でも、その内容は、真剣に我が国の未来、特に子どもの未来を考えている人たちにとって、大いに参考になるものである。

 

 そこで今回は、私の心に特に印象深く残った高橋孝雄氏との対談<第2章 日常の幸せを子どもに与えよ>で語られた「ネットなどの二次的情報の後追いへの偏重」に関する内容のポイントをまとめ、私なりの所感を付け加えてみたい。

 

 まず、高橋氏は子どもの声を傾聴して「違和感」にいち早く気付くことが小児科医の仕事であり、「小児科医は子どもの代弁者」にならなくてはならないと熱く語っている。そして、「代弁者」であるためには、子どもの気持ちを理解すべくその子のふるまいや表情に絶えず目を配ることが大事であるが、それは簡単なことではなく、プロフェショナルとしての小児科医は病気の子どもと親御さんの「代弁者」になるように何十年もかけてトレーニングを重ねているという。しかし、両親には本能的に「子どもの心を読み取る力」が備わっているはず。もし両親が気付けないとしたら、ネットをはじめ様々な情報に邪魔されて、その能力が衰えているのだろうと鋭く指摘している。「大人は自分の価値観をむやみに押し付けるのではなく、まずは子どもの声に耳を傾けて、代弁してあげることから始めるべきではないでしょうか。」という高橋氏の言葉は、保護者や教師等、教育に携わる人々にとっての箴言だと私は受け止めた。

 

 次に、高橋氏はインターネットの過剰利用がもたらす「実体験の減少」という弊害について警鐘を鳴らしている。ネットにおけるバーチャル空間でまるで本物のような体験を得ることができても、現実世界での実体験は増えないどころか減っていくばかりであり、結果的に人間関係が「五感に頼らない、または五感がスポイルされたコミュニケーション」に埋め尽くされていくのではないか。また、リアルな営みを本気で体験している時は、適度なストレスや負荷がかかっているので、ささいな何かを成し遂げることでも大きな充実感や達成感を得られるもの。さらに、子どもに様々なストレスが程よく働くと、遺伝子の発現にリズム感が出てきて、身体や精神の働きの変化として現れるという「エピジェネティクス」と呼ばれるシステムが働くことにも触れている。私は「実体験の減少」によって人間として大切な何かが損なわれていると今まで直感していたので、このような具体的な内容について知り、我が意を得たりの心境になった。

 

 もう一つ重要な論点として、高橋氏は育児におけるインターネットの過剰利用についても触れている。今の親たちが「正しい育児法」についての答えをネットに求める傾向があり、その際に陥りやすい問題として自分が実践している育児と比べて少しだけレベルの高い方法に「正しさ」を求めがちになる。このようなネット検索は、「正しい育児」という鬼をつかまえる追いかけっこのようになり、これが「負け続ける育児」につながってしまうのではないかと危惧しているのである。親たちの多くが「正しい育児をすれば、将来、社会が求める正しい大人に育つ」という幻想を抱き、その情報をネットに求めれば求めるほど、自分には実践できないような気になってくる。つまり、これは「負け続ける競争」にしかならないのである。私は、社会における他者との競争は必ずしも否定できないと思うけど、見えない無数の敵、実像をともなわない相手と競争することは確かに危険だと思った。

 

 最後に、養老氏と高橋氏は人間関係に関する様々な実体験を経て、人は五感を通じて「自分がこういうことをすれば、相手はこんな風に感じる」ということを学習し、その過程で想像力が育まれることに目を向けている。そして、子どもの頃に想像力が身に付けば、「共感する力」のようなものが芽生えるはずだと語り合っている。また、相手には相手の考えがある、相手のルールがあるということを理屈ではなく感じ取れる力は、人を幸せにしてくれると確認し合っている。人の幸せを共に喜び、人の苦しみをきちんと理解し、寄り添うことのできる人は成熟した大人であり、幸せになれる人である。私も、このような「共感する力のある成熟した大人」に子どもを育てていくことが、保護者や教師等、大人の責務だと考えている。

 

   そのようなことを考えていると、隣国のウクライナに対して武力侵攻するという蛮行を平然と行うロシアのプーチン大統領は、「共感する力のある成熟した大人」になれなかった人ではないかと、どうしようもない憤りの感情と共に子どもの頃のプーチンに行われた教育の無力さを痛感してしまう。今のプーチンを止めることは世界の誰もできないのだろうか!また、ネットにおけるSNSなどに対してもフェイクニュースなどをロシア側が流すという情報操作をされている危険があるので、今回のロシアの起こした戦争の実態を知るためにネット情報への偏重を避け、適度な距離を取って冷静に判断するという理性的な対応が求められるであろう。とにかく、一分一秒でも早く停戦し、一人でも多くの人命を救い出してほしいと祈るばかりである。

出臍コンプレックスについて~帚木蓬生著『風花病棟』所収「チチジマ」に触発されて~

 今年の1月、埼玉県ふじみ野市の住宅地で、男が散弾銃を発砲し、在宅クリニックの医師を殺害するという事件があった。殺された医師は、その人柄や診療振りが地域の人々や患者から評判のよい良医だったという。長らく介護していた母親を事件前日に亡くした容疑者は、「これから先、いいことはない。」と自暴自棄になって負の感情を爆発させ、凶行に及んだらしい。このような事態に巻き込まれた訳だから、医師にとって全く理不尽極まりない事件である。私は殺された医師と遺族の心情に思いを馳せ、何ともやるせない気持ちになってしまった。亡くなった医師に対しては心からご冥福をお祈りするとともに、遺族に対しては慎んでお悔やみを申し上げたい。

 

 私は当ブログを始めた頃に、医師に対してやや批判的な記事を綴ったことがある。そのきっかけは、硬式テニスのゲーム中に腰を強く振ったことが原因で発症した「腰椎椎間板ヘルニア」を最初に診察してくれた整形外科医の、あまりにも患者の気持ちを逆なでするような診療態度に対して、怒りにも似た感情をもったことであった。しかし、世の多くの医師は患者に対して誠実に接し、最善の診療をしていると信じている。散弾銃によって殺害された医師もそのような良医だったのではないか。そんなことを考えていた私は「ごく普通の良医の姿を描いた小説を読みたい。」と急に思い立ち、長く積読状態にしていた『風花病棟』(帚木蓬生著)を取り出した。それ以後、この2週間ほど私の寝床における読書の対象になっていたのだが、最近やっと読了した。

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 本書に所収されている10篇の短編小説は、1998年から2007年の小説新潮7月号の山本周五郎賞発表特集に毎年掲載された作品群である。患者という教科書によって教育されている「普通の良医」を登場させた豊饒なストーリーは、私の心に清々しい春風を吹き込んでくれた。どの作品も著者特有の細やかな心象表現が描かれ、温かい人間愛に満ちていた私好みの作風だったが、その中でも戦時中、父島で見かけた米兵と偶然再会し友情を深め、その米兵が見せる日本への贖罪の気持ちを現わした言動を描いている「チチジマ」が、特に気に入った。だが、それ以外にも「チチジマ」という短編の内容の中に惹かれた部分があった。それは、県立病院の院長になった主人公が感染症国際学会で発表する演題が「臍の垢による破傷風三例」であったことである。

 

 なぜ私はこの演題に惹かれたのか。破傷風を発症した三症例に共通していたのが、70代の患者が子どもの頃から臍を洗ったことがなく、臍窩につまった垢の厚みが1㎝から2㎝もあり、その垢栓塞から破傷風菌を分離することができた点であったことに興味を抱いたからである。どうして今まで一度も臍を洗わなかったのか?その理由は、日本には昔から臍の中は洗うなかれという言い伝えがあり、この高齢者たちはその因習を後生大事に半世紀以上にわたって守ってきたからである。

 

 実は私も今まで臍をあまり洗った記憶がない。しかし、私の場合は言い伝えを守っていた訳ではなく、少し出臍なので臍窩があまりないから垢が溜まりにくいので洗う必要がないのである。もちろん少しは垢が溜まる部分があるけど、垢栓塞ができるような構造にはなっていないのである。私は今までの人生で出臍であることのよさを感じたことはなかったが、今回初めて出臍でよかったと思った。私は小さい頃から自分が出臍であることにコンプレックスを持ち続けてきた。出臍は恥ずかしいことだから、銭湯に行った時もタオルで隠そうとしてきたのである。

 

 では、なぜ出臍を恥ずかしいと思ったのか。それは幼い頃に「おまえの母ちゃん、出臍、電車にしゃがれて、ペッチャンコ…」と友達が揶揄しているのを見聞きしたことが影響していると思う。この揶揄する言葉は相手をバカにする時に発するのだから、「出臍」は恥ずかしいことだと私の心に刻印されたのだと思う。それ以来、私は自分の出臍に対してコンプレックスを感じてしまったのである。だから、銭湯に行った時だけでなく、学校で水泳の授業がある時にはいつも水泳パンツを臍の上まで引き上げてはいていた。少なくとも、常にそれを意識して行動していたと思う。私は他者の視線が常に気になり、特に中学生の頃は思春期の敏感さも加わって自意識過剰な精神状態に陥っていたのである。

 

 このような自意識過剰の精神状態は成人してからも続いていたが、この出臍コンプレックスを克服するためには人生において容姿よりも人格の方が大切な価値なのだと自分に言い聞かせるようになっていった。だから、私は勉強や仕事などに一生懸命取り組み、家族の一員として誠実に生きることを通じて、自分の人間的・人格的価値を高めようとしたのだ。その結果、大人になってからはそのコンプレックスを意識することはなくなったが、多くの子どもにとっては多数派ではないことや普通ではないことに対してコンプレックスを感じてしまうものなのではないか。現在、<多様性>や<ダイバーシティ>を保障するということが、我が国でも大きな社会的な課題になっている。この喫緊の課題を達成していくためには、<多数派や普通とは違う存在>としてとらえられているマイノリティー、特に障害者に対して合理的配慮や環境調整を行うことで、社会的な障害を作らないという「特別支援教育の理念」がもっと社会全体に浸透していかなくてはならないと実感している。私もそのためのささやかな実践を、これからも積み重ねていきたいと考えている。

「子ども虐待」という発達障害?~杉山登志郎著『発達障害の子ども』『発達障害のいま』を読んで~

 「子ども虐待」によって死に至らせたのではないかと思われる痛ましい事件が起こった。テレビニュースによると、神奈川県大和市で母親が7歳になる次男を窒息死させたという殺人容疑で逮捕されたらしい。今までに、その母親の長男、長女、そして三男も、生後半年未満で死亡している。母親は今回の容疑を否認しているらしいが、亡くなった次男の後頭部には強い圧迫痕が残っていたという。母親は限りなく黒に近いと私は思うが、まだ容疑者の段階なので犯人扱いをしてはならないので、本件についてこれ以上に言及することは控えたい。しかし、それにしても近年、「子ども虐待」に関連する事件の報道が多いように思う。

 

 子どもを虐待する養育者の動機は、その人の成育歴や生活環境の条件等を精査していくと、様々な背景や要因等が入り組んで形成しているのであろう。よく「虐待の連鎖」という言葉を聞くので、養育者も虐待の被害者だった事例も多いのではないかと思うが、だからと言って「子ども虐待」の正当な口実にはならない。心身共に幼く、手厚く養育されるべき弱者の立場にある子どもに対して、身体的・精神的な虐待を与えるということはどんな言い訳も容認できないものである。ただし、それを道徳的・倫理的に非難すれば事足りるとも私は思っていない。やはり、虐待する動機や背景、要因等についてきちんと分析することを通して、「子ども虐待」を未然に防ぐ手立てを講じることが、私たち大人や社会に求められているのである。

 

 そんな思いを抱いていた中、「子ども虐待」と発達障害との複雑な関係やトラウマの問題、また「子ども虐待」という発達障害という独特の考え方について知る機会を得た。それは、初版を発刊してからもう随分年月を経ている『発達障害の子ども』『発達障害のいま』(杉山登志郎著)を読んだからである。2冊とも私が今の仕事に携わるようになって、ある古書店で購入したものであり、著者の杉山氏が2001年秋から2010年秋までの9年間勤務していた「あいち小児保健医療総合センター」における臨床事例を数多く取り上げている。特に「子ども虐待」臨床と発達障害臨床が密接に絡み合うことや、こころの臨床におけるテーマが精神分析ではなく、発達障害とトラウマであることなどについて当時としては新たな知見を提出している点、私は大変に興味深く読み進めることができた。

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 そこで今回は、その興味深い内容の中でも特に私が意表を突かれた「子ども虐待」という発達障害の考え方について、『発達障害の子ども』の<第7章 子ども虐待という発達障害>の内容を紹介しながらその概要をまとめてみたい。そして、いつもながら私なりの簡潔な所感を付け加えてみたいと思う。

 

 著者が勤務していた小児センターは、軽度発達障害のセンターであると共に、子ども虐待の専門外来である「子育て支援外来」を開設することで子ども虐待治療センターとしても機能していた。そして、開院後5年間における子ども虐待患児575名について調べた結果、広汎性発達障害(現在は概ねSAD=自閉症スペクトラム)が全体の24%、ADHDが全体の20%おり、何らかの発達障害と診断される子は何と全体の54%もいたそうである。また、その内の85%までがIQ70以上だという。つまり、軽度発達障害が虐待の高い危険因子となることが示されたのである。

 

 反面、「子ども虐待」に認められる後遺症として「反応性愛着障害」(子どもの愛着行動の形成に支障が生じた症状が出る)や「解離性障害」(脳に器質的な傷を受けていないのに、心身の統一が崩れ、記憶や体験がバラバラになる解離という症状が出る)が起きるのだが、それらは多動性行動障害を軸とした発達障害症候群(広汎性発達障害ADHD様の症状を示す)を示すことが少なからずあると言われている。例えば、被虐待児の示す症状は幼児期には「反応性愛着障害」としてまず現れ、次いで小学生になると「多動性行動障害」が中心になり、思春期に向けて「解離性障害」が出て、その一部は非行に推移していくのである。さらに、治療がされない場合は、複雑性PTSD(解離が日常化し、感情のコントロールや衝動コントロールが非常に困難になり、重度のうつ、自殺未遂、様々な依存症、多重人格等の症状を特徴とする重症の精神障害)の病態に陥ることになる。

 

 以上のようなこと以外にも、近年は脳の機能画像研究が急速に進み、その結果が示されるようになった。具体的には、脳梁の機能不全が解離症状と関連するなど、被虐待児の示す症状との間に連関を見ることができたり、広汎性発達障害ADHDにおいても基盤となる器質的な所見が明らかになったりしている。しかし、被虐待児に示されたほど明確な器質的な変化は認められていないので、一般的な発達障害より「子ども虐待」の方がより広範な脳の発達の障害をもたらすことが示されているのである。このような事実から著者は、「子ども虐待」を一つの発達障害症候群としてとらえるべきではないかと提言している。

 

 著者が発達障害という規定を行う目的は、不可治性を強調することではなく、治療と教育により軽快し、恒常的な変化に対する修正が可能であることを強調するためである。被虐待児への治療および教育を、発達障害児への療育という視点から見直すことは意義があるのである。特に重度の被虐待児を通常教育のシステムの中だけで教育するのは不可能だから、どうしても特別支援教育が必要であると強く訴えている。私は家庭に恵まれなかった子どもたちの子育てに学校が積極的に関与することは必要だと思うが、それがより効果を上げるためには<教育だけでなく、医療や福祉との連携をより深め、強力な子育てネットワークを構築していくこと>が不可欠はないかと考えている。しかし、実際の現場ではまだまだ有効に機能していない現実があり、その実態を詳細に分析した上でより有効的な対応策を講じていく必要があると強く感じている。私は、この課題解決に向けて特別支援教育の指導員という立場で多少なりとも尽力していきたい。

発達障害のある子の育て方で大事なポイントについて~本田秀夫著『子どもの発達障害―子育てで大切なこと、やってはいけないこと―』から学ぶ~

 昨日、新型コロナウイルスの第3回のワクチンとして半分量のモデルナを接種した。テレビニュースによると、「第1・2回がファイザー、第3回がモデルナという交互接種による抗体の増え方は第3回もファイザーを接種した場合よりも約1.5倍あるが、副反応の方は発熱を起こす割合が約2倍になる。」と言っていたので、少しビビッていた。しかし、今、接種後24時間以上を経て、接種局部の多少の筋肉痛以外の副反応はないのでホッとしながら、この記事を書いている。

 

 新年を迎えてオミクロン株が感染爆発して、感染者が一気に高齢者や子どもにも拡大してきた。3学期になり当市の小中学校の関係者でも陽性者や濃厚接触者が出てきて、一時は学校を休校する事態が発生していたが、オミクロン株の性格等を考慮して現在はその対応は縮小して3日ほどの学級閉鎖の措置に変わってきた。この間、何らかの「困り感」のある子どもに対する適切な支援についての教育相談に応じるために学校現場へ出掛けることが多い私は、徹底した感染予防をしてはいるものの、やはり気持ちの上では気が気でない状態であった。しかし、今回第3回の追加接種をしたので、少しは感染リスクを下げることができるのではないかと、ちょっと胸をなで下ろしている。

 

 ところで、本年度も後わずかになり教育相談の申請数も少なくなってきたが、気になる我が子が進学・進級する次年度へ向けて今の心配や不安を少しでも取り除きたいという思いを込めた保護者からの申請がまだある。その中には、学校の先生方は学校生活の様子を見たり実際に接してみたりして当該の子の「困り感」を実感しているから、保護者へ教育相談を受けないかと今までに何度か働き掛けている保護者がいる。その保護者は、現実から目を反らしながら逡巡していたのだが、この年度末になってあるがまま現実を見てみると何かと心配や不安が膨らんできたので思い立ったらしい。だから、そのような保護者の心理情況を踏まえて、私たち特別支援教育・指導員は保護者に対する教育相談に臨む必要がある。

 

 先日、私は何かヒントになる本を探しに職場近くの大型書店へ昼休みに足を運んでみた。すると、当ブログの記事で以前に紹介したこともある精神医学者で医学博士の本田秀夫氏の著書『子どもの発達障害―子育てで大切なこと、やってはいけないこと―』を見つけ、早速購入して読んでみた。「これは、幼児期から思春期にさしかかる時期までの子どもの保護者に対する教育相談に臨むにあたって、心得ておくとよいことがたくさん書かれている!」と思いながら、私はページを捲った。その理由は、発達障害のある子だけではなく、保護者が何となく気付いている「困り感」をもっている子どもも想定して、その対応例を具体的に紹介してくれているからである。そこで今回は、私がなるほどと納得した内容の一部を紹介しながら、その簡単な所感も付け加えてみようと考えている。

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 著者は、発達障害のある子の育て方で大事にしたいポイントとして、次の3つのポイントを挙げている。

① グレーとは、白ではなくて 薄い黒

② 「せめてこれぐらい」はNGワード

③ 「友達と仲良く」と言ってはいけない

 

 ①の意味は、発達障害のある子に多数派の子ども(白のこと)と同じように行動したり、勉強をしたりすることを求めてはいけない。薄い黒のグレーなら、グレーのままで無理なく過ごせるような環境調整を心掛けるとよいということ。②の意味は、①と同様に発達障害のある子を、心配や期待を込めて平均値の子ども(白のこと)に近づける「せめてこれぐらい」という意識から切り替えることが必要であること。③の意味は、発達障害のある子の中には、親に「友達と仲良く」と言われると、そうしなければいけないと無理に相手に会わせようとして過剰適応してしまい、ストレスを溜め込んでしまう子がいるから、「友達と仲良く」と言ってはいけないのである。どのポイントも「発達障害のある子に世間一般の基準に合わせることを求めないで、無理をさせないこと」を言っており、当該の保護者にとってはなかなか受け入れるのは難しいかもしれないが、我が子をちょっと客観的に、親戚の子どもぐらいの距離感であるがまま見てもらうように働き掛ける必要があるであろう。

 

 特に保護者にとって、③のポイントが受け入れがたいのではないか。日本のように「世間」がまだ日常的に機能している社会では、常に「同調圧力」が働いているので、共同体内における他者との協調性、つまり「友達と仲良く」することを無言のうちに強制させられているのが現状ではないかと思う。だから、親としては我が子が共同体から排除されたり差別されたりしないように、幼い頃から「友達と仲良く」と言ってしまうのである。しかし、発達障害のある子の中には興味の幅が狭く、自分のペースで活動をしてしまう子もいる。そのような子の場合には、自分の好きなことを楽しんでいる内に結果として誰かと仲良くなれることもあることを知らせよう。私は、本来「友達と仲良く」ということを目標にするのではなく、結果として実現する願いぐらいにとらえている。だから、保護者にもそのようなとらえ方に意識を変えなければ我が子に強いストレスが掛かり、精神的に追い込まれしまうことをしっかりと伝えたいと考えている。

 

 もう一つ、著者が発達障害のある子の育て方で大事にしたいポイントとして強調していることがある。それは、「勉強を教えるなんて、100年早い!」ということである。ほとんどの保護者は、「いやいや学校では勉強ができなければ、本人が劣等感を抱くことになり、その結果として自己肯定感を低下させてしまうではないか。」と考えるであろう。私も本書を読むまでは、そう思っていた。しかし、著者の次のような説明を読んでいくと、一応納得できる。

 

 …勉強は、何歳になってもできます。大人になって仕事についてから業務に興味をもち、自主的に勉強して大成する人もいます。本当に学びたいと思うことがあれば、学習する習慣を身につけることは、いつでもできるのです。勉強は、身のまわりのことをあとまわしにしてまで、教えるようなことではありません。…

 

 確かに、人間が自立して生きていくためにまず求められる最低限のスキルは、身だしなみや食事・家事・持ち物や時間、お金、健康の管理等という生活面のスキルである。しかし、勉強や対人関係のスキルも、その後の人生において求められるスキルである。特に小学校低学年で学習する「読み書き、計算」という基礎学力は将来、社会的・経済的な自立をしていく上で不可欠になるスキルであろう。私たち特別支援教育・指導員が学校現場に出向いて、先生方や保護者に対する教育相談の内容は、むしろ勉強や対人関係に関するものが中心である。

 

 著者は、そのような実態だからこそ、あえて「勉強を教えるなんて、100年早い!」と極端なことを言っているのかもしれない。だから、私としては常にバランス感覚を保持しながら、保護者が我が子に対して勉強や対人関係のスキルだけに偏った願いや期待をしていると受け止められた際には、生活面のスキルについても適切なアドバイスができるように、もう一度本書の当該箇所をじっくりと読み直し、しっかりと理解を深めておきたいと考えている。

哲学とは何か?~萱野稔人著『哲学はなぜ役に立つのか?』から学ぶ~

 私は今までの人生において様々な困難に出合った時、それをどのように克服すればよいかと思案する中で、ともすると安易で短絡的な解決策を取ろうとする気持ちが起きることがあった。しかし、その度に「それでいいのか。その解決策は自分の良心に恥じない選択になっているのか。」と自問自答しながら、たとえその解決策が自分にとって苦しい選択であったとしても道徳的に考えてより善い行いだと判断すれば実行してきたつもりである。ただ、そのような決断は本当に妥当だったのかという問いをいつまでも引きずってしまうこともあった。だから、その決断の妥当性を確かめたいという欲求から、「哲学」や「倫理学」という学問に関心をもち、時々はそれらに関連する本を読んできたのである。

 

 私にとって「哲学」や「倫理学」という学問は、ある意味で自己の思考や判断の正当性を意味付けたり価値付けたりするために役立てようとする道具になっているのかもしれない。だが、それは「哲学」や「倫理学」を学ぶ動機としては邪道なのではないか。では、真っ当な学ぶ動機とはどのような動機なのか。また、「哲学」や「倫理学」はそもそも何の役に立つのだろうか、いや人は何かの役に立つから学ぶのだろうか。・・・様々な疑問の渦の中に未だにいる私は、それらに対するすっきりとした解答をどこかに求めているのである。

 

 そんな袋小路に入り込んだ気分の中で、最近読んだのが『哲学はなぜ役に立つのか?』(萱野稔人著)である。本書は、津田塾大学教授の萱野氏が月刊誌「サイゾー」において『哲学者・萱野稔人の“超”現代哲学講座』というタイトルで連載した40講座の中の前半を大幅に加筆・修正した「哲学の入門書」である。ただし、本書は哲学の入門書によくある哲学書を単に解説するものではなく、「哲学書を使って時事的な問題を考えることで、役に立つものとして示すこと」を第一の目的とした本なのである。

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 私は本書を読んで袋小路に入り込んだ気分を少しは晴らすことができたと思ったので、今回の記事で本書の特に第1講「哲学とは何か?」の内容から学んだことをまとめてみたいと考えている。

 

 著者は、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズ氏とフェリックス・ガタリ氏が著した『哲学とは何か』を参考にして、「哲学とは概念の創造である」という言葉を紹介している。また、分子生物学者の福岡伸一氏が著した『生物と無生物のあいだ』の中で、「生物とは何か」という問いに対して実証的なデータだけでなく、それを総合して概念的に考えていることに言及して、「哲学とは,ものごとをとらえるために概念的に考えたり、概念を練り上げたり、新たに概念を創出したりする知的営みのことである」と結論付けている。したがって、著者は哲学を一つの学問分野だと考えず、どんな分野でも概念的に考えるという「知の営み」だと考えているのである。そう言えば、当ブログで以前に取り上げた『暇と退屈の倫理学』の著者である哲学者・國分功一郎氏も同書の中で、「哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営みである」と述べていたことを思い出した。

 

 では、「概念的に考える」とはどういうことを指すのだろうか。著者は、例えば「国家とは何か」という問いに対して、「国家とは、領土、主権、国民(人民)によってなりたっている政治共同体である」という答えで満足するならば、それは哲学とは言えないと断定している。なぜなら、その答えは国家の構成要素を並べたにすぎないからである。著者は「そもそも国家なんていうものが社会のなかに存在しているのか」や「どのような原理によって国家というものがなりたっているのか」という疑問を解明することこそ、「国家とは何か」という問いを概念的に考えることであると述べている。そして、17世紀の哲学者・スピノザが語った「ものごとを定義するとはその起成原因(ものごとをなりたたせている原因や原理のこと)をとらえることである」という言葉を紹介し、例えば「国家とは何か」という問いに答えるということは国家を定義することに外ならず、学問的にはそれを通じてどのような理論を打ち立てられるか、その理論がどこまで妥当性や汎用性をもつのかが問題になる知的営み全てを貫いていることこそ、概念的に思考するという実践なのだと意味付けている。

 

 また、哲学という知の営みはどんな領域に対しても適応されることから派生する「領域横断性」と、哲学はできるだけものごとのトータルな把握を目指すという「総体性」の2つの性質が、哲学の大きな特徴だと言っている。だから、哲学の授業は単に哲学者の思想をそのまま解説するのではなく、ものごとを概念的に考えることを実践して示すことが大切だと主張して、「概念を通じて考えると世界で起こっていることはどのように見えてくるのか」が本書のテーマだと言明している。その意味で、本書は確かに「哲学は役に立つ」ということを実践化したものであり、本書を読んで私なりに「哲学とは何か」という問いの答えを見つけることができ、ずっと薄い霧がかかっていた私の頭の中が少し晴れたような気になった。これからは、自分の人生で出合った困難な事態について意識して概念的に考えながら、より善い解決策を見出していきたいと思う。それが哲学するということだから…。